月見は2回やるのが正式ってどういうこと?
現代、月見といえば「十五夜」ですが、じつは江戸時代にはもうひとつの月見の行事がありました。
その名を、
十三夜(じゅうさんや)
「十五夜」が旧暦8月15日に行うのに対し、「十三夜」は旧暦9月13日に行い、「後の月見」と呼ばれていました。
ちなみに、月見行事は中国から伝来したものですが、「十三夜」は日本オリジナルの風習です。
今ではマイナーになってしまった十三夜ですが、当時は「十五夜」と「十三夜」の両方の月見を行ってこそ“本当の月見”といわれ、どちらかの月見しかしないことを「片見月(片月見)」と呼び、縁起が悪いとされました。
農村では「片見月は不作に陥るぞ~」と忌み嫌われていたんだとか。
「片見月は縁起が悪い」という風習をうまく利用したのが吉原です。
吉原には節句や年中行事にあわせて設定された「紋日(もんぴ)」というキャンペーンデイがあるのですが、月見も重要な秋のイベントとして「紋日」とされました。
「紋日」は特別な日なだけに、お客は遊女にいいところを見せようといつも以上に見栄を張り散財しました。そんな気前のよい上客をたくさん集めるのは遊女の腕前次第。
遊女たちは、上客を「十五夜」に誘うと、「片見月は縁起が悪いので、十三夜も一緒に楽しみましょうね♡」と次回来店も確約させたんだとか。
やるなぁ。
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お月見アイテムその1、ススキ
さてさて、月見に欠かせないものと言えば「ススキ」と「月見団子」でしょう。
まずは、ススキについて。
月見にススキを飾るようになった理由は次の3つが有力だそうな。
- 神の依代(よりしろ)である稲穂の代わり
- 月見は豊作祈願・五穀豊穣のお祭りでもあったので、稲穂に似ているススキを飾る
- 切り口が鋭いので魔除けになる
魔除けパワーを標準装備しているススキは、月見でお供えした後、家の軒先に吊るしておくと1年間病気にならない、と言われたそう。すごいぞ、ススキ!
お次は、みんな大好き月見団子について。
お月見アイテムその2、月見団子
月見に欠かせない大人も子どもも大好きなものといえば、そう月見団子です。
月見のお供え物として団子がラインナップに加わったのは江戸時代中期以降のことだそう。江戸時代前期に食べていたのは芋煮を食べて月見を楽しんだのだとか。
お月さまのようにまん丸な団子は、大きさも十五夜にちなんで1寸5分(およそ5㎝)で、供える数も15個。下段に9個+中段に4個+上段に2個を積み上げます。
ちなみに、月見団子は東西で形や数に違いがあるといわれています。
江戸ではまん丸のお団子を15個。対して京や大坂などの上方ではサトイモのように先っぽがちょっと尖がったお団子を12個。12という数字はその年に出た満月の数に由来するとか。
また、旧暦9月13日の「十三夜」でも月見団子をお供えするのですが、十五夜とは数が微妙に違い、十三夜なだけに13個です。下段に9個+中段に3個+上段に1個を積み上げます。
余談ですが、お月見泥棒というなんだかユニークな言葉を知っていますか?
十五夜の夜、この時に限っては他所の家にお供えしてある月見団子をこっそり盗み食いしても怒られないという風習のことです。
ただし、子どもに限る。
大人がやると、「え、なにしてんの、あんた?」となる。
なんでも“子どもは月からの使者”と考えられていたそうで、縁側から月見団子がなくなれば「あら、神様が食べたのね」とまた追加を置いてくれたのだとか。
この子どもニッコリな風習は、一説に江戸時代から始まったといわれ、現代でも日本各地で行われており、子どもたちが「お月見泥棒で~す」などと家々で声をかけ、月見団子のかわりにお菓子をもらったりするそうです。これはもう、ジャパニーズハロウィンですね(謎。