さらば、ふんどし! パンツ時代の到来へ
江戸時代に一般庶民にも広がり男性の下着として大活躍したふんどしですが、時代が変わり明治時代になるとふんどしの立場に大きな変化が訪れます。
ご紹介してきた浮世絵にも描かれているように、江戸時代の男性たちはふんどし一丁でもぜんぜん「恥ずかしい」とかありませんでした。むしろ、ふんどしチラ見えの尻ッ端折りカッコイイという美意識。
女性たちも「なんなの、ふんどし見せないでよ、もう。このセクハラ!」なんて思いませんでした。
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しかし、幕末から明治時代にかけ日本にたくさんやって来るようになった外国人たちは、半裸のふんどし姿でウロウロする男性たちやそれを気にも留めない女性たちのようすに、埋めがたい文化の差を感じほとんど失神しそうになるわけです。
近代国家として西欧諸国の仲間入りをしたい明治政府としても、このままではまずいと思うようになり、ついには「肌を露出するようなかっこうで歩いてはいけません」というようなことを法律で決めてしまいます。
こうして、それまで“普通”だったふんどし姿は“法律違反”となり、やがて一般にも「ふんどし姿=恥ずかしい」という感覚が浸透していき、かつては見られた「半裸ふんどし一丁スタイル」は姿を消していきます。価値観なんてものはあるきっかけでガラリと変わってしまうものなのですねぇ。
とはいえ、下着としてのふんどしはその後も昭和までずーっと第一線で活躍を続けました。
六尺ふんどしは水泳用の水着としても活躍しました。
しかし、敗戦後、急速に進んだ欧米化や戦中に軍人の定番下着として使用された越中ふんどしが“帝国主義の象徴”と見なされたことなどの影響によりふんどし人気は急落、下着としてのポジションはブリーフやトランクスなどのパンツ勢に取って代わられます。
現在、ふんどしを見かけるのはお祭りなど特別なシーンのみ。
何度か「今、ふんどしがアツい!」みたいなムーブメントが起こりかけていますが、普段用の下着にふんどしを愛用しているという人はほとんど見かけないのが現実です。
今回はふんどしにまつわるお話をまとめました。