ミニ氷河期だった江戸時代 庶民はどんな服装で冬の寒さをしのいだのか?

  • 更新日:2017年8月18日
  • 公開日:2017年1月14日

地球全体がミニ氷河期だった江戸時代。現代のような温かいコートやダウン、ヒートテックなどないなかで、人々はどのような服装で冬の寒さをしのいだのでしょうか?

積もった雪で遊ぶ江戸時代の美女たち(歌川豊国 画)
現代の東京では考えられないほどどっさり積もった雪で遊ぶ美女たち。雪ウサギや大きな雪玉をつくって楽しそうですが、寒そうです(歌川豊国 画)
江戸時代は、地球全体が「小氷期」と呼ばれるミニ氷河期。冬は現代以上に極寒で、なんと隅田川が凍るほどでした。

四季に合わせて年に4回の衣替え


まず冬の服装についてご紹介する前に、江戸時代には季節ごとに着る服装が決まっていたという現代人にはちょっとビックリなファッション事情について。

春夏秋冬。日本には四季があり、昔から季節に合わせて服装を変えてきました。衣替え(ころもがえ)ですね。

スポンサーリンク


現在、一般的に毎年6月1日と10月1日が衣替えのタイミングで(地域差あり)、この日を境に夏服、冬服にチェンジします。

衣替えの歴史は古く、中国の風習が伝来し平安時代には宮中行事として衣替えが行われました。当時は「更衣(こうい)」と呼んだそう。

江戸時代になると年に2回だった衣替えが年に4回と倍増。服装での体温調整をより細やかに行えるようになったんですね。

しきたりにうるさい武家社会では4回の衣替えそれぞれで着るものもきちんと定められていました

その1 旧暦4月1日から5月4日まで
「袷(あわせ)」という裏地つきの着物
その2 旧暦5月5日から8月末日まで
「帷子(かたびら)」という夏用の麻の小袖(上流階級)、「単(ひとえ)」という1枚仕立ての着物
その3 旧暦9月1日から9月8日まで ←!?
また「袷」
その4 旧暦9月9日から3月末日まで
「綿入れ」という表地と裏地の間に綿を入れた防寒着

と、こんな感じ。

この期日は幕府によって制度化され、武士たちは衣替えの期日を厳守しました。すごいぞ、江戸時代。これは武家のしきたりだったんですが、次第に庶民にも広まり習慣化しました。

なお、明治時代になると政府により軍人や警官の制服の衣替え期日が制定され、やがて学生服、さらには一般にも新暦6月1日と10月1日に衣替えが行われるようになりました。

で、現代の衣替えと江戸時代の衣替えで大きく違う点があるのです。

それは衣替えのたびに妻や母親が着物を季節用に仕立て直すことです。

裁縫をする江戸時代の女性(『栄草当世娘』部分 歌川国貞 画)
裁縫をする女性。江戸時代の女性にとって裁縫は必要不可欠なテクニックでした(『栄草当世娘』部分 歌川国貞 画)
現代なら衣替えといってもタンスの中身を入れ替えたり、シーズン物の服に買い換えたりすればおしまいですが、既製品の着物など売っていなかった江戸時代はそういうわけにはいきませんでした。

夏になれば袷の裏地をとり「単」に縫い直し、

冬になれば綿を入れ、冬服に仕立て直す。

家族全員の着物を、

全部手作業で。

一家のお母さんがチクチク。

季節ごとに毎回チクチク。

それが江戸時代の衣替えでした。

ちなみに、武家や裕福な商家では針仕事専用の女性を雇うこともあったそうです。

江戸ブログ 関連記事

江戸ブログ 最新記事

あわせて読みたい 戦国・幕末記事