巨大和時計、からくり人形、人力飛行機、五角形の謎の建築物……。稀代の発明家でもあった村の庄屋は、次々に発明品を生み出し村人たちを驚かせ続けました。

12人目
庄屋と発明家の二足のわらじ!?

“からくり伊賀七”こと飯塚伊賀七(いいづか いがしち)

からくり伊賀七こと飯塚伊賀七の肖像画
伊賀七の肖像画。74歳で生涯を終えるまで発明を続けました
常陸国筑波郡新町村(現・茨城県つくば市谷田部)に生まれ、生涯を谷田部で過ごし「谷田部に過ぎたるもの」と讃えられた稀代の発明家がいました。その名は飯塚伊賀七。村人たちは尊敬を込め「からくり伊賀七」と呼んでいました。

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伊賀七が生まれたのは1762年(宝暦12)の春のこと。代々庄屋を務める裕福な家庭に生まれ育った伊賀七は、幼い頃から発明に興味を持ち、勉強熱心で、和算や蘭学、建築学、地理学、暦学など幅広い学問を習得しました。

家督を継いで庄屋として活動する一方、発明家として多くの発明品を生み出しました。どんな発明品があったのか?

たとえば、からくり人形。自宅から近所の酒屋や豆腐屋に買い物に行って帰ってくることができたというから、これはもはやペッパー超えてます。残念ながら人形本体は残っていないのですが……。

またたとえば、人力飛行機。一説に、大きな羽を数枚重ねたもので、ペダルを踏むと羽ばたくようになっていたとか。筑波山から飛行実験をしようと藩主に願い出たが「それ、人心を惑わす」との理由で許可されなかったそう。こちらも残念……。(空を飛行することについては、ライト兄弟よりも100年早く飛んだ鳥人・浮田幸吉もやはり騒乱の罪で捕らえられています)

さらに、和時計。これがかなりの優れもので、朝夕に太鼓や鐘、笛の自動演奏で村人たちに時刻を知らせただけでなく、自宅の門扉も自動開閉できたのだとか。

また、建築にも優れた技術を見せ、当時難しいといわれていた五角形の建築物(通称:五角堂)は伊賀七の代表作のひとつです。そのほか、現代の地図にも劣らないほどの精度を持つ地図を制作するなどマルチな才能を発揮しました。

現在、つくば市は「ロボットの街つくば」を提唱していますが、その原点として伊賀七が紹介されるなど今も伊賀七は地元で愛され続けています。

からくり伊賀七こと飯塚伊賀七が発明した巨大な和時計
伊賀七が発明した巨大な和時計(復元)。高さはなんと2m!画像引用元:wikipedia

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