いまも昔も人気の相撲。谷風や小野川などの人気力士がいるなか、勝率9割6分2厘という脅威の成績を残した別次元の力士がいた。

9人目
生涯勝率.962の史上最強力士

雷電爲右エ門(らいでんためえもん)

『化粧回し姿 雷電為右衛門』(勝川春亭 画)
肋骨に隙間のない「一枚あばら」という特異体質の持ち主だったという伝説も。(『化粧回し姿 雷電為右衛門』 勝川春亭 画)
現役生活21年間のなかで土をつけられたのはたったの10回だけ――そんなちょっと信じがたいほどの強さを誇った力士がいました。

その名は雷電爲右エ門

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本名を関太郎吉といい、1767年に信濃国(現・長野県)の豪農の子として生まれました。幼い頃から体も大きく怪力だったといわれ、怪力エピソードもさまざま残っています。

現役時代の体格は、身長197cm、体重172kgだったとか。これは引退した把瑠都関と同サイズであり、当時にしてみたらまさに巨人。手形も残っているんですが、長さ23cm、幅13cmとこちらも規格外。

17歳の時、地元に巡業に来ていた浦風に見出され入門した雷電は、江戸へ出て、当時のナンバーワン力士・谷風梶之助の預かり弟子となりました。もともと才能があったうえに谷風に6年間しごかれた雷電は、満を持して初土俵を踏むことになります。

「なにやらとんでもない力士がいるらしい」

雷電の評判は初土俵を踏む前から広く知れ渡り、デビュー前にして“不昧公(ふまいこう)”として知られる松江藩主・松平治郷(はるさと)のお抱え力士となりました。これはめちゃくちゃ異例のことです。

さらにいきなり「関脇」としてデビューしたのも異例中の異例。いかに雷電が周囲から期待されていたかが伺えます。

その期待に応えるどころか、期待以上の強さを発揮し、初土俵でいきなり優勝した雷電は、その後も勝ちを重ねていきました。あまりの強さに雷電だけ「張り手」「突っ張り」「かんぬき」「鯖折」を禁じ手にされたというのは有名な話(ですが真偽は不明)。

漫画『喧嘩稼業』の金隆山(木多康昭 漫画)
物語の力士キャラにおいて雷電をよくモデルにされます。漫画『喧嘩稼業』の金隆山(木多康昭 漫画)
無双の強さを誇った雷電は酒も強く、かなりの酒豪だったとか。さらに日記を残しており、教養の方もかなり高かったといわれています。44歳で現役を退いた雷電は後進の育成に尽力し、晩年は妻の生地で悠々自適に暮らしたそうです。もし平成の大横綱・白鵬と対戦したら……と想像するとワクワクしますね。

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