• 更新日:2022年4月3日
  • 公開日:2015年11月23日


有名絵師6人目
歌川国貞(うたがわくにさだ)

春画用ペンネームは婦喜用又平(ぶきよまたへい)。江戸末期に絶大な人気を博した浮世絵師。幕末の退廃ムードを漂わせる美人画や役者絵で有名。のち三世歌川豊国(自身は二世を称した)。

ベストセラーのパロディ
南総里見八犬伝のパロディ春画(歌川国貞の『恋のやつふぢ』)

『恋のやつふぢ』(1836年)

江戸時代後期の人気絵師・歌川国貞による艶本『恋のやつふぢ』は、江戸時代を代表する曲亭馬琴による超ロングセラー『南総里見八犬伝』のエロパロディ。パロディは本気じゃないと面白くないので、本文・挿絵・キャラクター名など原作に忠実です。ただ、原作に登場する伏姫は「佐世姫(させひめ)」、伏姫の飼い犬・八房(やつふさ)は美少年に変化する妖犬「八総(やつぶさ)」に変更されています。


さて、『八犬伝』では、飼い犬が姫に恋をしてしまうところから物語がはじまります。ただ、あくまで八房と伏姫は関係を持っていません。

一方、パロディ『恋のやつふぢ』ではどうか?
絵のとおり、佐世姫は犬の八総に犯されてしまっています。

うーむ。

 

さらにいってしまえば、この春画、なぜ黒丸で切り抜かれた構図になっているかというと、この光景を佐世姫の父親が遠くから望遠鏡で見ているからなんです。

 
これはね、カオスですよ。

 

200年後の現代人でさえどう受け止めていいか困惑する世界観。春画、マジ半端ないです。
ちなみに、『南総里見八犬伝』のほか『仮名手本忠臣蔵』『東海道五十三次』など、当時の人気作は、春画によってパロディが生まれています。

最後に。春画についての素朴な疑問をまとめました。

よくある春画の疑問

疑問「東洲斎写楽は春画を描いてないの?」
いわゆる六大浮世絵師(鈴木春信、鳥居清長、喜多川歌麿、東洲斎写楽、葛飾北斎、歌川広重)のなかで、唯一まだ春画が発見されていないです。謎おおき写楽らしく、春画を描いていたかも謎のままです。
疑問「男性器がやたらと大きいのはなぜですか?見栄ですか?」
性器のデフォルメは春画の特徴のひとつですが、その理由についてはいろいろあります。たとえば、生殖器に対する崇拝・信仰からくるという説、男性器を縁起ものとして考えていた説、「笑い絵」ならではのユニークさを追求した結果説などなど。
ちなみに、幕末に春画が海外に流出した際、春画を見た外国人は「東の果てにとんでもない巨根民族が存在する」と度肝を抜かれたという話もあります。
疑問「なんでだいたい着物を着たままなの?」
全裸同士という春画はあまりありません。着衣がほとんどです。その理由は、春画はただのエロ目的でないからです。じつは、呉服屋さんとタイアップした作品も多く、その宣伝も兼ねていたのです。
ですから、着物の美しさ、流行のスタイルをちゃんと描くことも春画の大事な役割だったのです。この着物の美しさ表現にも浮世絵テクニックが駆使されています。
疑問「春画のルーツや呼び名は?」
もともと中国から輸入された医学書とともに入ってきた体位の解説図が始まりといわれます。春画という名称も明代の中国で大流行したセックス絵「春宮画」の略称とも。そもそも農業大国日本においてセックスは繁栄の証であり五穀豊穣の祈りに通じるものとして、生命力あふれるメデタイもの。そのため、戦国時代には甲冑を入れる具足櫃に入れて出陣すると勝つという俗信が生まれ「勝ち絵」と呼ばれていました。また、江戸時代には性教育のテキスト兼夫婦和合の縁起物として花嫁道具のなかに忍ばせ娘に持たせる風習もあったそうで、「枕絵」などとも呼ばれていました。
疑問「春画って規制されていなかったの?」
たびたび出版禁止になっていました。1722年(享保7)の「享保の改革」で好色本が禁止されたのを皮切りに、「寛政の改革」(1787~93)「天保の改革」(1830~43)と幕府による改革が行われるたびに発禁となり、店頭販売も自粛されました。しかし、そこはタフな江戸の人々。規制の目をかいくぐって制作を続け、貸本屋が各家を行商することで春画は楽しまれ続けました。
また、発禁になって表に出なかったからこそ、規制にとらわれない豪華な極彩色の作品もつくることができ、浮世絵技術をいかんなく発揮できる場となり、バラエティ豊かな春画世界が生まれることになったのです。

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