【完全にUFO】江戸を騒然とさせた未確認生物・物体をまとめてみた【画像多数】

  • 更新日:2020年3月15日
  • 公開日:2015年11月10日

河童に人魚にツチノコ、UFO……未確認生物いわゆる「UMA」のニュースは、江戸の庶民たちも大好きでした。江戸時代の情報誌ともいえる「瓦版」などに掲載された「江戸時代の未確認生物」ニュースがまとめました。

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おなじみのアイツ、河童


水虎十二品之図(坂本浩然 画)
『水虎十二品之図』
こちらは河童の専門書として代表的な資料集『水虎考略』(1820)から12図を転写したもので、著者は坂本浩然。

ヤセている河童、笑っている河童、亀みたいな河童……など12種類の河童はどれも個性的でちょっと愛くるしい。河童は古くから日本に伝わる未確認生物の代表格ですが、江戸時代の人々は誰もがその存在を確信していました。

また、「鼻先がとがっていて、背中に甲羅、頭にお皿、体は青緑」という今に伝わる河童のイメージは江戸時代に確立したと考えられています。

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次の河童は、

白藤源太と河童(『和漢百物語』より、月岡芳年 画)
『和漢百物語』より「白藤源太」
幕末の浮世絵師・月岡芳年の浮世絵。

力士・白藤源太は歌舞伎などのフィクションで人気の力士で河童退治で有名だったらしい。そして、河童の相撲好きも常識として知られていました。

こちらの絵では悠々とウチワをあおぎながら河童の相撲を観戦中、となんとものどかな光景に見えます

ただ、浮世絵内の解説をみてみると、最後、

白藤源太と河童(『和漢百物語』の解説文)
「(勝負を挑んできた河童を)一喝し、たちまち投げ殺した」とあります。

えぇ……。

未確認生物の代表格


未確認生物といえば忘れてならないのが「ツチノコ」。ひと昔前はよくテレビでも「ツチノコを探せ!」的な特番が放送されていたものです。

ツチノコによく似た(あるいは同一視された)「野槌(のづち)」という妖怪がいるのですが、江戸時代中期に編纂された百科事典『和漢三才図会』や鳥山石燕による妖怪画集『今昔画図続百鬼』などにその姿が紹介されています。

『今昔画図続百鬼』の野槌
『今昔画図続百鬼』の野槌。ウサギを食べてます……。
こんなのがすごいスピードで追いかけてきたらめちゃくちゃ怖いですね。


麗しき「人魚姫」とはほど遠い江戸版・人魚



江戸時代の人魚(瓦版より)
瓦版「人魚図」
こちらも未確認生物の定番中の定番、人魚。

人魚というと、なんとなく上半身が美女で下半身が魚のマーメード的なものを想像しますが、江戸時代の人魚はまったくの別物です。こちらの瓦版で伝えられた人魚には角が生えちゃってます。顔も般若みたいでかなり怖い……。

よく見ると胴には3つの目が!

瓦版の記事によれば、越中国の四方浦に現れ漁船を悩ましていた人魚を捕獲した、とあり、ひと目見れば不老長寿、無病息災で幸せになる、とのことです。日本だけでなく中国でも人魚の肉には不老不死の力がある、といわれてきました。

江戸時代の人魚(『三橋日記』より)
『三橋日記』より
1759年(宝暦9)に現在の青森県東津軽郡にて捕獲されたという人魚の図。やっぱり頭に2本の角。そしてなにより目を引くのが胸にかけた袈裟!

大槻玄沢が描いた人魚(『六物新志』より)
『六物新志』より
蘭学者・大槻玄沢が蘭書に基づき「一角(ユニコーン)」「木乃伊(木乃伊)」「人魚」など6種の薬物について交渉した書『六物新志』に登場する人魚。本書では人魚は完全に薬物扱いで、骨には止血効果があると記されています。

ちなみに、オスメスありまして。

牝の人魚(『六物新志』より)
こちらがオスで、

牝の人魚(『六物新志』より)
こちらがメスです。

オスとかメスとかじゃなくて、どっちもおっさんですね。

箱入娘面屋人魚(山東京伝 画)
『箱入娘面屋人魚(はこいりむすめめんやにんぎょう)』(1791)
江戸の人気作家・山東京伝黄表紙(大人の絵本)で、絵を手がけたのは人気絵師の歌川豊国。

乙姫に飽きた浦島太郎が鯉の遊女と浮気して生まれた人魚が主人公の物語。どんだけシュールなんだ!?貧乏な漁師の嫁になった人魚ちゃんは遊女に化けて遊郭で働くが「魚くさい」と客からクレームがくる始末……。がんばれ、人魚!

それにしてもこの人魚は顔以外は完全に魚で、人魚というか人面魚。

江戸時代にも人面犬ブーム!?



犬産人面狗(『街談文々集要』より、石塚豊芥子 画)
『街談文々集要』より「犬産人面狗」
覚えている方も多いでしょう、90年代はじめに巻き起こった「人面犬ブーム」を。懐かしいですね。

しかし、この人面犬、なんと江戸時代にもいたのです。こちらは『街談文々集要』に描かれたもので、それによれば江戸は田戸町であるメス犬が生んだ子犬のうち1匹が人間にそっくりだった、とか。

数匹いますが、このなかでどれが人面犬かというと、

江戸時代の人面犬
こちらですね。

どの子犬も人面に見えるじゃないか、というツッコミはなしで。それで、この噂を聞きつけた興行師が見世物としてこの人面犬を出したところ大人気になったとか。

コワおもしろい? 子どもさらい怪獣、撃ち取ったり!



奥州会津怪獣の図(瓦版より)
瓦版「奥州会津怪獣の図」
不気味な怪獣発見のニュースを伝える瓦版。

記事によれば、1782年(天明2)、会津磐梯山で鉄砲名人が撃ち取ったという。会津ではここ数年、子どもが何人も行方不明になっており、この怪獣が犯人ではないかという。

怪獣の背丈はおよそ150cm弱、口は耳まで裂け、鼻はくちばしのように長く、全体は潰れたヒキガエルのようで毛に覆われ、5m以上もの長い尻尾があり、手足には水かきがあったとか。

とにもかくにも非常に不気味だったとありますが、絵からはなんとなくユーモアも感じられるところが楽しい。

殺傷能力はんぱない!



印旛沼の幻獣
印旛沼の幻獣
1643年(天保14)、印旛沼の工事中に突如、謎の幻獣が現れました! その幻獣は光とともに出現し、一瞬のうちに13人が即死したと伝えられています。ま、まじですか……

かつてはメジャーな未確認生物




かみなり(『絵本百物語』より、竹原春泉 画)
『絵本百物語』より「かみなり」 竹原春泉 画
雷獣とは落雷とともに現れる未確認生物、妖怪のこと。

明治時代以降、マイナーUMAになってしまいましたが、江戸時代にはとても知名度が高い未確認生物でした。文献により多少の差はありますが、だいたいの外見的特徴を説明しますと、体長約60cm、尻尾は20cmくらい、タヌキやイタチに似た鋭い爪を持つ幻獣。

雷獣はなかなかよく落っこちてきていたようで、日本各地に伝説が残り、随筆などにもちょくちょく出てきます。

未確認生物が……しゃべった!?



アマビエ(瓦版より)
瓦版の「アマビエ」
なんだか子どもの落書きみたいですが、れっきとした江戸時代の瓦版に描かれた未確認生物です。

その正体は、1846年(弘化3)、肥後国(現・熊本県)の海中から出現し、豊作や疫病などを予言するというアマビエ(アマビコとも)。

毎晩のように海中に光る物体が出現することを怪しんだ役人が海へ行くと、このアマビエが出てきて「海に住むアマビエである」と名乗ったといいます。うん、結構、礼儀正しいですね

さらに、「この先6年間は豊作続きだけど、万一、疫病が流行したら私の絵を描いてそれを人に見せるといいよ」と予言してくれたとか。アマビエ、礼儀正しいうえに親切ですね。

2020年の新型コロナウィルス流行の際には、「いまこそアマビエを描くとき」とTwitterを中心としてたくさんのアマビエが描かれました

件(瓦版より)
瓦版に報じられた「件(くだん)」
人面牛ではありません、これは件(くだん)です。体は「牛」、顔は「人」なので牛+人で「件」。

生後数日で死んでしまうが、人語を話し作物の豊凶や流行病など重大な未来を予言し、それは百発百中当たると伝わります。

瓦版に報じられた件の出現記事をご紹介しましょう。それによれば、1836年(天保7)、丹後国(現・京都府北部)の倉橋山に件が出現したといい、件の絵を貼っておけば家内繁盛、疫病退散、大豊年とめでたいこと尽くしのじつにめでたい獣だといいます。件、すごいパワーの持ち主ですね~。

わたしの正体はなんでしょう?



江戸時代のあざらし

正解!

これはアザラシです!

なぜアザラシが未確認生物?と思うかも知れませんが、今日のように動物園の人気者になる以前、アザラシは学者の間でこそ知られていましたが、庶民には存在を知られておらず不気味な未知の生物として「海怪(うみのおばけ)」と呼ばれていたそうです。

ちなみに、この瓦版のアザラシは現在の名古屋は熱田の海に出現したもので、捕獲されると見世物小屋に出され、てぬぐいやお菓子など関連グッズも販売されるほどの人気者になったとか。やっぱりアザラシは人気者。

完全に一致してます



江戸時代のUFO(『弘賢随筆』の虚舟、屋代弘賢 画)
『弘賢随筆』の挿絵
これは決してコラではありません。

ほんとに江戸時代の文献です。いや、もうどう見てもUFOですよ。ちなみに隣にいる女性は宇宙人です。なにか箱を抱えています。ちなみに、UFOは「虚舟(うつろぶね)」と呼ばれていました。

江戸時代の超ロングセラー小説『南総里見八犬伝』の作者で知られる曲亭馬琴らがまとめた『兎園小説』にこのUFOの話が「虚舟の蛮女」として紹介され話題となりました。ざっとこんな感じです。

1803年(享和3)、常陸国(現・茨城県)の沖合いに奇妙な舟が漂着、地元の漁師たちが引き上げてみると、舟は円形で直径はおよそ5.5m、上部はガラス張りで鉄板を張り合わせたような頑丈なつくり。さらに内部には見慣れぬ装飾が施され、不思議な文字が刻まれていたという。そして船内には、髪と眉が赤く言葉の通じない変わった女がひとり乗っていて大事そうに箱を抱えていた――


らしい。どっからどう見てもUFOにしか見えない「虚舟」ですが、空を飛んだという情報がないのはちょっとさみしいところです。

いかがでしたでしょうか?「おいおい」とおもわず突っ込みを入れてしまうようなガセっぽいネタでも、真実として伝えられ、人々もまたそれを信じ、恐れ、一方で楽しんでいたようです。そこらへんは、現代のわれわれとなにも変わらないですね。

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パンツを着用しない時代、女性の下着はどんなもの?

銀ブラをする昭和の女性1963年(昭和38年)昭和の女性が、洋装で銀ブラ。和装から洋装への大転換は日本文化にとって大事件でした。[fluct device=PC num=0][fluct device=SP num=0]さて江戸時代、男性の下着は安定のふんどしですね。女性たちは下着としてどのようなものを使用していたかといいますと、それがこれ。『水鶏にだまされて』石川豊信 画(『水鶏にだまされて』石川豊信 画)「湯文字(ゆもじ)」と呼ばれる四角い布です。今でいう「腰巻(こしまき)」。ヒモがついており、巻きスカートのように腰に巻きつけて使用しました。長さは膝より少し下くらいまで。うっかり裾がペラリと開くと陰部が見えてしまうので、そんなことがないよう下着の4ヵ所にはおもりが入っていたとか。素材は木綿で、色は白もしくは緋色。年配女性は浅黄(あさぎ)色が多かったそうです。さらに、湯文字の上に「蹴出(けだし)」というものを着用しました。「裾よけ」ともいいます。これは今でいう「ペチコート」で、歩く際に湯文字がチラ見えするのを防いだり、着物の裾さばきをよくするために使用されました。長さは湯文字より長く、足首までありました。湯文字と異なり蹴出は「見せ下着」、むしろ見られることを意識した下着のため華やかな柄の布が使われ、女性の足元をより色っぽく見せるのに一役買っていました。『浮世名異女図会(うきよめいしょずえ)』「江戸町芸者」歌川国貞 画(『浮世名異女図会(うきよめいしょずえ)』「江戸町芸者」歌川国貞 画)美しい芸者の足元を見ると緋色の蹴出がチラ見え。足の白さと赤い下着の組み合わせの色っぽさ。ちなみに農村部などでは湯文字を使用することもなく完全に「ノー下着」だったそうです。ですので、作業中に「よっこいしょ」と腰をかがめたりすると陰部が丸見えになる、というのは、農村によくあるのどかな風景でした。


江戸時代からナプキン派、タンポン派にわかれていた!?

パンツを着用しなかった時代。ふと頭に浮かぶ疑問は「江戸時代の女性たちは、生理のときどのように処理していたのか?」。現代にあるナプキンやタンポンといった便利な生理用品。ナプキンの原型ともいえる「アンネナプキン」が発売されたのは、わずか50年前、昭和38年(1961年)のことでした。お年寄りが生理のことを「アンネの日」というのはこれに由来しています。「アンネナプキン」発売の広告「アンネナプキン」発売の広告。キャッチフレーズ「40年間お待たせしました!」は、アメリカで使い捨てナプキンが発売されてそれに遅れること40年にしてついに発売、ということを意味しています。[fluct device=PC num=1][fluct device=SP num=1]さて、ナプキンなどがない江戸時代、女性は生理になると前垂れのあるふんどし状の布で押さえていたそうです。これは見た目が馬の顔に似ていることから「お馬」とも呼ばれていました。この「お馬」のなかに再生紙やボロ布を折りたたんだものを入れ、陰部にあてがってナプキンのようにして使用しました。布は洗って何度も使ったとか。また、再生紙や布を丸めて膣に詰め込んだりすることもあったそうです。今でいうタンポンみたいな感じですね。再生紙や布を使うのは都市部のこと。農村部では綿など柔らかな植物を陰部にあてがったり、膣に詰め込んだりしていたといわれています。また、生理期間中は血による“穢れ(けがれ)”を忌み、家族と接しないよう「月経小屋」と呼ばれる場所で生活したとか。ちなみに、これは確認しようがないので定かではありませんが、一説には、江戸時代の女性たちは現代女性に比べインナーマッスルが発達していたため、経血を膣内にためておいて用をたす際に排泄したとも。今風にいうと「経血コントロール」で、そのため簡易な生理用品でも大丈夫だったとか。そもそも経血の量そのものが少なかったという説もあります(諸説あります)。いかんせん生理に関する資料が少ないので確かなことはわかりませんが、現在のような生理用品がなくともなんとかなっていたことだけは確かです。