幻想的な“青富士”
神奈川県を流れる押切川(中村川)のほとりから眺める富士山。夜明け前のようでたなびく雲は淡いピンクに染まっています。タンチョウヅルが飛び立つ富士は幻想的なまでに青く、見る者を惹きつけます。
北斎の富士山シリーズとして忘れてならない『富嶽百景』からも。
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泡立つ雲から龍がこんにちは
富士山のふもとから現れ出たるは龍。その周りには泡のような雲がもわもわもわ~ん。なんでしょう、この雲。こんな雲の表現、見たことありません。見ようによっては、龍が富士山を泡洗浄しているみたいにも見えます。
もう1枚、『富嶽百景』から。
富士山、クモに捕まる
今度の富士山はクモの巣にひっかかってしまいました。富士山の絵の隅に穴を空けたクモが、画面いっぱいにクモの巣をはってしまったようにも見えます。北斎、どういう発想でこんな富士山を描こうと思ったのでしょう。
“画狂”北斎の手にかかると富士山の絵もこんなに自由。『富嶽百景』は「ワシが描きたい富士山を描く!」という北斎の強い思いが込められているような作品がたくさんありますので、ぜひ一度ご覧ください。
さて、北斎つながりで今度は弟子の富士山。
昔はここからも富士山が見えました
こちら、現在の御茶ノ水付近から水道橋の方を見た風景画。中央に流れるのは神田川、画像右の坂は昌平坂で途中には湯島聖堂が見えます。川に架かる橋は水道橋なのですが、江戸時代には水道橋からも富士山が眺められたのですね。
作者の昇亭北寿は北斎の弟子のひとりで、江戸時代後期に活躍しなかなか人気があったそう。まるで幾何学模様のようなデフォルメされた崖と曲線的な川、富士山の三角、などがバランスよく組み合わさった画面構成に北斎イズムを感じます。
では、今度はガラリと雰囲気を変えて。
富士山と虹の不思議なコラボレーション
これは6曲1隻の屏風絵で、左隻には富士山が、右隻には三保の松原から山々へ架かる巨大な虹が描かれています。
“奇想の絵師”の代表選手・曽我蕭白といえば、原色バリバリのちょっとグロテスクな作品が有名ですが、この富士山はやわらかな色合いのホンワカムード。でも、なんだか大きな三角たちが集まってきたような富士山の表現も独特すぎるし、なにより巨大な虹が異色。和製ファンタジーのような世界観です。
実録もの
この富士山の絵、近すぎ!それもそのはず、これは作者である小泉斐が実際に富士登山をした経験をもとに描いた富士山の記録絵。タイトルのようにまさに「写真」。
描かれているのは1707年(宝永4年)の富士山大噴火で誕生した宝永火山で、今でもちゃんと確認できます。
画像右側にポコっと飛び出している部分が宝永火山です。隣に大きく陥没している部分が火口で、噴火の大きさを物語っています。江戸時代には富士山が大噴火していたなんて、今では信じられませんね。
さて、『富嶽写真』に収録されたこちらの絵、綿のように柔らかそうな雲海と、青空と朝日に染まるうす紅色の空のグラデーション、目の前に迫りくる富士山の武骨な岩肌……それらが相まって、現実的なような非現実的なような不思議な空間を生んでいます。
スタイリッシュ富士
超モダンなマウントFUJI。まるでポスターのようなスタイリッシュで、現代アートのようです。これが江戸時代の作品だなんて驚きです。
作者の鈴木守一(しゅいつ)は幕末から明治にかけて活躍した“琳派”の画家で、同じく“琳派”の画家で前衛的な作風で知られる父の鈴木其一(きいつ)に絵を学びました。
わび、さび、富士
こちらの富士山は超シブイ。どんよりと暗い空に浮かび上がるのは、雪化粧した真っ白な富士。冬景色の寒々しさは不思議となく、横長に連なる松林の朴訥なタッチもあり温かみを感じさせます。
作者は江戸時代中期の俳人として有名な与謝蕪村。「春の海終日(ひねもす)のたりのたり哉(かな)」など有名な句はたくさん。俳人としての顔が有名ですが、絵もすばらしいんです。
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