江戸の大地震直後から大ブームになった「鯰絵(ナマズ絵)」が怖カワイイ

  • 更新日:2019年10月12日
  • 公開日:2016年1月20日

今から160年ほど前、江戸の町が直下型地震に見舞われました。死者1万人を出した「安政の大地震」。その翌日から、奇妙な浮世絵が大ブームになります。

甚大な被害を前に途方にくれる庶民。余震が続くなか、当時の絵師たちが地震の翌日から書きまくったのがナマズ(鯰絵)でした。

鯰と要石
題『鯰と要石』

江戸時代、「地震は地下の大ナマズのせい」「ナマズは茨城県の鹿島神宮の下にいる」「要石(かなめいし)っていう霊石がおさえてくれてる」という民間信仰がありました。

安政の大地震が起こったのが旧暦10月=神無月(かんなづき、全国の神様が出雲に集まりお留守になる月)だったので、「なるほどね。鹿島の神様が不在の隙に、ナマズが暴れたのか」となったわけです。

さきほどの鯰絵をいまいちど見ると。中央にいるのは恵比寿さま。鹿島の神様に留守を頼まれたが要石によりかかって爆睡。その隙をついて大ナマズが大暴れ!という一枚。馬に乗っているのが鹿島神宮の祭神で、大ナマズをこらしめるため駆けつけています。大ナマズにユーモアと愛嬌があるのがおもしろい。

神様、怒りの一撃

鹿島要石真図
題『鹿島要石真図』

背景のビッカーとした光が劇的。鹿島神宮の祭神が、出張先の出雲から駆けつけ大暴れした大ナマズに一撃を加えています。ちなみに、ナマズのまわりに小判やら木材やら大工道具などが散らばっていますが、これは地震からの復興事業で建築関係が潤うことを意味しています。

恵比寿さま、がんばって!

鯰をおさえこむ恵比寿

留守を守る恵比寿さまが暴れる大ナマズを押さえ込もうと必死。要石の代わりにひょうたん!奮闘ぶりが泣ける。恵比寿さまといえばタイですが、脇の文章を読むと「タイとちがってナマズはとりにくいなぁ」とボヤいています。

伊勢の神馬が助けに来た!

鯰と格闘する伊勢の神馬

大ナマズ、今度は神様ではなく馬に押さえつけられています。倒壊した家屋のなかで辛くも助かった人の着物に馬の毛のようなものがついていて「伊勢の御神馬がたすけてくれた!」という噂が広まったとか。そのため鯰絵にも神馬がヒーローとして登場。

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ナマズたち、みんなで平謝り

鯰と格闘する伊勢の神馬
題『自身除妙法』

ナマズたち、鹿島神宮の神様にめちゃくちゃ怒られ中。それに対しナマズのリーダー、「ナマズの仲間が乱痴気騒ぎをして家々を壊しちゃったみたいで……。いやホント、今後このようなことはしません。まじスミマセン」と平謝り。(これも脇の文章に書いてます)

恵比寿さまも一緒に平謝り

恵比寿天申訳之記
題『恵比寿天申訳之記』

神無月に留守を預かっていた恵比寿さま、「お酒に酔っててナマズたちをおさえられず……すみませんでした」と鹿島神宮の神様に謝っています。恵比寿さまに連れてこられたナマズたちもやっぱり平謝り。

詫び証文に手形をペタリ

地震のまもり
題『地震のまもり』

鹿島神宮の神様に連れてこられたナマズたち、井戸の神と地の神を従えた天照太明神の前で「もう地震は起こしません」と詫び証文に手形を押しています。その姿と手形のかたちがなんとも愛嬌たっぷりユーモラス。証文には地震除けの呪文が。鯰絵には「お守り」としての役割を持つものもありました。

ナマズ、ついに蒲焼にされる

江戸前かばやき鯰大火場焼
題『江戸前かばやき鯰大火場焼(なまずおおかばやき)』

恵比寿さまによって今まさにさばかれようとしているナマズ。蒲焼にされる運命のようです。ちなみに鯰絵では蒲焼を「火場焼」「家場焼」と書きます。これは地震によって起きた火災を連想させる当て字。画面左、縁台に座ってナマズの蒲焼を食べているのは災害復興で儲けた大工たちです。

まな板の上の大ナマズ

大鯰後の生酔
題『大鯰後の生酔』

鹿島神宮の神様がまな板の上に大ナマズをひっくり返し腹に剣をつきたてています。腹を剣で断ち切ろうとするこの絵は「腹立ち」を引っかけたシャレになっています。たくさんの人がいますが、上段にいるのは地震で儲けて笑いの止まらない大工、とび職、材木屋、佐官など。下段にいるのは地震で大損し泣き顔の旅籠(はたご)、茶店、寄席など。

寄ってたかってボカスカ

しんよし原大なまづゆらひ
題『しんよし原大なまづゆらひ』

地震でダメージを受けた吉原の遊女やお客が大ナマズに殴りかかっています。遊女見習いの幼女である禿(かむろ)たちも小さなナマズをボカスカ。画面左上から「待ってくれー」と制止に入ろうとしているのは地震で儲けた大工や職人たち。

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大ナマズが来たぞ~

しんよし原大なまづゆらひ
題『大鯰江戸の賑わい』

品川沖に入ってきたのは巨大なクジラならぬ大ナマズ。潮を吹き上げるとたくさんの小判が雨あられと江戸に降り注ぎます。これを見た庶民は大喜び、という図。大地震は甚大な被害を江戸に与えましたが、同時に復興景気で経済が活性化されたという一面もありました。

吉原に繰り出すナマズ

吉原に繰り出すナマズ

復興景気で懐があたたかくなった職人たちが吉原遊びに繰り出しています。たくさんいるお客をよく見ると……何人(匹)かナマズがいます。景気がよくなった職人たちが恩恵を与えてくれたナマズたちに感謝して連れて来たもよう。


最後に。
絵師たちのある思いをご紹介します。

ナマズも復興のお手伝い

世直し鯰の情(なさけ)
題『世直し鯰の情(なさけ)』

ナマズが被災者を助け出しています。鯰絵も登場からしばらくすると「ナマズを退治する」系のものから変化して、この絵のようにある種ヒーローのようにナマズが描かれるように(世直し鯰絵)。

二年前にペリー率いる黒船が来航。幕末になり、世の中は物騒で不安定。先の見えない不安が膨らんでいるときに、重ねるように起きたのが「安政の大地震」。

「もはやなにから手をつけていいの、これ?」

そんな状態の日本で、絵師たちはナマズをヒーロー化することで、新しい時代への「世直し」の期待やふらふらする幕府への風刺などを込めたわけです。

地震発生翌日から大ブームを起こした鯰絵は、無許可出版だったため幕府による取締りを受け、わずか約2ヶ月半で禁止となります。その間に描かれたナマズは数百匹。

ユーモアで現状を笑い飛ばし、風刺をきかせてうっぷんを晴らし、それをお守りにすることで不安を和らげる。それが鯰絵だったわけです。

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