女性らしさ満点、グラマラスな寛政美人
健康美人がモテた天明期を経て続く寛政期(1789~1801年)。「寛政の三美人」として大評判をとった3人の美女がいました。浅草寺随神門前の水茶屋「難波屋」のおきた、両国の煎餅屋「高島屋」のお久、吉原芸者の富本豊雛(とよひな)です。彼女らの美しさを世に広めたのが江戸時代を代表する浮世絵師・喜多川歌麿です。

これは歌麿が「寛政の三美人」を描いた『当時三美人』。中央が吉原の美人芸者・豊雛、画面左が17歳のおひさです。17歳と思われぬ大人っぽさです。3人の中で人気ナンバーワンは画面右のおきた(16歳)で、明和美人の笠森お仙と同様におきた見たさに客が押し寄せたとか。歌麿もおきたをモデルにした美人画を数多く描いています。
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もうひとつ歌麿の美人画を。

湯上り美人です。色気があります。寛政期にはこのようなグラマラスな美人がモテたようです。
では、寛政美人の条件をまとめると……
- 全体的に女性らしいグラマラスさ
- 豊満な胸
- おっとりとした大らかな雰囲気
今でいうと人気女子アナの水卜麻美さんみたいな感じでしょうか。
まさかの6頭身!?個性的すぎる文政美人
歌麿の描いた大らかな美人がモテた時代からおよそ20年後の文政期(1818~30)。江戸時代も後半になり町人文化が花開いた時代です。文政期の美人はこれまでとはちょっと、いやかなり異なる個性派です。まずはこちらをご覧ください。

うーん、まさかの6頭身です。顔が大きい。目はかなりつり上がり、口は受け口ぎみです。猫背で姿勢もよいとはいえず……。首も短いし……。
もう一枚、同じ浮世絵師の美人画を。

やっぱり顔は大きく細長く、つり目の受け口。でもなんだか妙な色気が漂います。妖艶とでもいいましょうか。退廃的な美しさです。ちなみに、下唇が緑色なのは当時流行していた「笹紅色」といって紅を何度も塗り重ねて玉虫色にしたメイクです。
さて、これらの美人画を描いたのは江戸後期に活躍した浮世絵師・渓斎英泉です。上は『隅田堤桜盛』、下の絵は『当世好物八契』というタイトルの浮世絵です。英泉の描く美人は、スタイルもどちらかというと悪くかなり個性的な顔だちですが独特の色気にあふれています。江戸時代も後期となる文政期には退廃的な美意識が好まれるようになり、美人のタイプもちょっと退廃的な妖艶さを持つ女性が「美しい」とされたのでしょう。
文政美人をまとめると……
- 6頭身
- 首が短く猫背ぎみ
- 細長い顔
- 小さくつり上がり鋭い目
- 受け口
今でいうと誰だろう…。「美人」にくくられないかもしれません。
時代ごとの美人をとらえブロマイド的な役割も果たしていた美人画。写真とは異なり写実的ではないかもしれませんが、こういったタイプの美人が好まれたことは確かです。
写真が残っている幕末、明治の美人ランキングもまとめています。ぜひごらんください!
ガチで美人過ぎる幕末女性 ベスト17(写真あり)
【写真あり】現代に通用する明治時代の美人をランキングしてみた!【22位~1位】