【厳選25枚】江戸時代の幽霊画がめちゃくちゃ怖い【夜見ちゃダメ】

  • 更新日:2017年8月18日
  • 公開日:2016年6月20日

夏といえば幽霊。ということで、恨み、つらみ、未練の末にさまよいでた幽霊を描いた傑作幽霊画をご紹介。江戸時代の絵柄だからこそかえって怖い傑作25枚。

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足のない幽霊の原点?

『返魂香之図』(円山応挙 画)
『返魂香之図(はんごんこうのず)』
切れ長の目もとが色っぽい美人ですが、腰から下はすーっと消えています。この絵の作者は江戸時代を代表する画家のひとり円山応挙(まるやまおうきょ)

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写生を重視した画風が特徴です。応挙が描いたこの幽霊画は「足のない幽霊」の元祖ともいわれており(諸説あり)、以降の幽霊画に大きな影響を与えました。

一説に、夢に現れた亡き妻の姿を描いたとも。

もう1枚、応挙の幽霊画。

下卑た表情がグロテスク、ときどきユーモラス

『幽霊図』(円山応挙 画)
『幽霊図』(円山応挙 画)
さきほどのしっとりと美しい幽霊とはうってかわって、なんともユニークな幽霊画。これも応挙の作品です。伺うような上目遣い、にんまりと笑う口元からニョッキリと伸びた歯……インパクトがものすごい。

応挙関係でもう1枚。こちらは楽しい作品です。

リアルすぎる幽霊、本当に“出た”

『応挙の幽霊』(円山応挙 画)
『応挙の幽霊』(円山応挙 画)
写生を重視した応挙は、幽霊も写実的に描きました。いないものをリアルに描くというのもなんだか変な話ですが……とにかく、応挙の幽霊は超リアル。

ということで、幕末絵師月岡芳年(つきおかよしとし)がこんな絵を描いています。ズバリ、あまりに応挙の幽霊画がリアルなので本当に幽霊がヒュ~ドロドロと出てきたの図。

芳年らしいブラックユーモアがきいています。

お次は月岡芳年の幽霊画をご紹介しましょう。独創的な作品で知られる浮世絵師ですので、幽霊画でもオリジナリティを発揮しています。

妙にエロティック

月岡芳年の幽霊画
月岡芳年の幽霊画
亡くなった妊婦を埋葬するとなるという伝統的な幽霊・妖怪「産女(うぶめ)」を描いた1枚。

腰布は血にまみれ、よくみると抱いている赤ん坊の細い足が見えています。恐ろしくも物悲しい雰囲気の漂う幽霊画です。が、白いうなじから腰にかけてのS字カーブ、ぴったりとまとわりついた腰布……妙にエロティックでもあります。

次も芳年の作品。

本当に怖いのは生きている人間の妄執か

『宿場女郎図』(月岡芳年 画)
『宿場女郎図』(月岡芳年 画)
宿場にある宿屋の2階に通じる階段にいるのは、病によりやせ衰えた女郎。厳密にはまだ生きているので幽霊ではないのですが、骨と皮だけになりながらも客を招くような手つきには生への妄執が感じられます

一説に、作者の芳年が実際に宿場で病み衰えた女郎を目にし、これを描いたとも。芳年は幽霊よりも恐ろしいものを見たのかもしれません。


18禁の異色の幽霊画

『幽霊図』(月岡芳年 画)
『幽霊図』(月岡芳年 画)
幽霊の顔が女性器です。髪は陰毛です。ものすごく怖いような、怖くないような……いや、怖い。夜道で出会ったら卒倒間違いなし。

作品の意図について月岡芳年に聞いてみたい。ちなみに江戸時代の妖怪画などには、性器をモチーフにしたものがたくさんありました。性と生と死は密接な関係にあるようです。春画の有名な1枚にも顔が性器の男女というのがあります

最後にもう1枚、芳年の幽霊画。超有名な幽霊を描いています。

1枚、2枚、3枚……お皿が足りない……

『新形三十六怪撰』「お菊」(月岡芳年 画)
『新形三十六怪撰』「お菊」 (月岡芳年 画)
『番町皿屋敷』などで知られる超有名怪談「皿屋敷」に登場する幽霊・お菊。夜な夜な井戸端で「1枚、2枚……」と悲しげに皿を数える姿はよく知られています。

江戸時代においても人気の高い怪談話で、歌舞伎や浄瑠璃などにもなり、お菊を描いた浮世絵もたくさんあります。さて、芳年版のお菊、怖さより悲しみが強く、はかなげで美しくもあります。

同じお菊でも天才・葛飾北斎が描くとこんな感じ。

もはやポップアート!

『百物語』「さらやしき」 (葛飾北斎 画)
『百物語』「さらやしき」(葛飾北斎 画)
お皿が幽霊の首になっています。北斎の発想力は自在です。

もう1枚、お菊の幽霊画。

深く、深く恨んでおります

『お菊幽霊図』 (祇園井特 画)
『お菊幽霊図』 (祇園井特 画)
芳年のはかなげなお菊とは対照的にめちゃくちゃ恨めしげ。眉間のシワに怨念の深さを感じさせます。作者は江戸時代後期の京の画家・祇園井特(ぎおんせいとく)。

知名度はあまり高くありませんが、アクの強い個性的な美人画は一度見たら忘れられないインパクトがあります。幽霊画もいくつかありますが、やはりものすごいインパクトです。

ということで、祇園井特の幽霊画をもう1枚。

もはやパンク

『美人と幽霊図』 (祇園井特 画)
『美人と幽霊図』(祇園井特 画)
ものすごい個性的です。頭頂部が薄くなった頭、目ヂカラのある上目遣い、歯が1本1本強調されたニンマリ笑顔、血管のような植物のようなグロテスクな焔……。

なんとも形容しがたい不気味な世界観を形成しています。ひと束の髪の毛をつまんでいるのも意味深で怖い。まさか枝毛を気にしているわけでもあるまいし……。

ちなみに、この幽霊画は美人画とセットの掛け軸で、美人画はまるで幽霊から目をそむけるように横を向いています
恐ろしい幽霊画が続いたのでちょっと小休憩。お次はユーモラスな幽霊画をどうぞ。

じゃ、また明日ね~

『美人と幽霊図』 (鳥山石燕 画)
『画図百鬼夜行』より「幽霊」 (鳥山石燕 画)
幽霊のコスプレか、というくらいオーソドックスな幽霊ファッション。頭に白い三角の布(天冠)もつけています。表情もあまり恨めしげではなく、「じゃ、またね~」とでも言っているかのように片手をあげています。

でも、場所は墓場のようですし、間違いなく幽霊です。作者は江戸時代の妖怪絵師として有名な鳥山石燕(とりやませきえん)。妖怪画集『画図百鬼夜行』は現代でも高い人気を集めています。

巨大な幽霊がニッコリ

『殿中幽霊図』 (矢野夜潮 画)
『殿中幽霊図』 (矢野夜潮 画)
巨大な幽霊が現れて驚いた女性を描いた幽霊画ですが、ちっとも怖くありません。むしろ微笑ましい。

幽霊はニッコニコだし、女性も女性でリアクションがオーバーすぎるし。色味も明るくパステル調なのでお子様でも楽しめる幽霊画となっております。

このユニークな幽霊画の作者は、円山応挙の孫弟子にあたる京の絵師・矢野夜潮(やのやちょう)です。

もう1枚、あまり怖くないもの。

“おっかさん”的な幽霊

『枕元の幽霊』 (中村芳中 画)
『枕元の幽霊』 (中村芳中 画)
暗闇の中、枕元に現れたのは顔面が不気味に崩れた女性の幽霊。「四谷怪談」のお岩さんのようです。たしかに怖いのですが、着物の色のせいか、丸顔のせいか、なんだか子どもの寝顔を見に来た“おっかさん”のようにも見えます。

作者は、江戸時代中期から後期に上方で活躍した琳派の絵師・中村芳中(なかむらほうちゅう)。大らかでユーモアにあふれた作風は幽霊画でも健在のようです。

さぁ、一息ついたところで、今度はめちゃくちゃ怖い幽霊画をどんどんご紹介していきましょう。

何を考えているかわからない恐怖

『瞽女の幽霊』 (3代歌川広重 画)
『瞽女(ごぜ)の幽霊』 (3代歌川広重 画)
三味線を抱えた瞽女(ごぜ)の幽霊が水面に浮かび上がっています。「瞽女」とは盲目の女性旅芸人で、近世まで全国各地にいました

鶏のように筋張った細い首を伸ばし虚空を見つめる瞽女の幽霊、なにも写さない瞳は何を見ているのか何を考えているのかわからず、この絵を見る者に恐怖心を与えます。ちょっとアップにしてみましょう。

『瞽女の幽霊』のアップ (3代歌川広重 画)

怖い…。あまり見ていると夢に見そうです。

なお、作者は3代歌川広重。『東海道五十三次』や『名所江戸百景』などで知られる初代広重の門人で、幕末から明治にかけて活躍しました。
待ち人は誰?

『桟橋の幽霊』(柴田是真 画)
『桟橋の幽霊』(柴田是真 画)
古びた桟橋に幽霊が悄然と腰掛けています。腰掛けている幽霊、というのも珍しい構図ですが、全体的になんとも侘しい雰囲気で、見ていると気が滅入るようです。

画像左から流れるように出ているのは人魂でしょうか。作者は幕末から明治時代にかけて活躍した絵師・柴田是真(しばたぜしん)です。

浮かび上がる青白い顔に震え上がる

『柳下幽霊図』(呉春、松村景文 画)
『柳下幽霊図』(呉春、松村景文 画)
青白い顔、うつろな眼差し、髪を噛む口元からは恨み言が今にも聞えてきそうです。タイトルに「柳下」とありますが、柳が描かれているのは表装部分というのがユニーク。

生暖かい風に揺れる柳の枝がこの絵の恐ろしさを一層際立たせます。ちなみにこちらの幽霊画、数ある江戸時代の幽霊画のなかでも屈指の怖さと評判です。

作者は江戸時代中期の絵師・呉春(ごしゅん)とその弟子・松村景文(まつむらけいぶん)の2人、共作です。

次。

いるの?いないの?

『蚊帳の前に坐る幽霊』(菊池容斎 画)
『蚊帳の前に坐る幽霊』(菊池容斎 画)
行灯の光がもれる部屋に蚊帳がかけられ、そこに静かに幽霊が座っています。蚊帳のある部分では幽霊がはっきり見え、それ以外はぼんやり。

幽霊がいるのは蚊帳のこちら側なのか、向こう側なのか。そもそもこの幽霊はいるのか、いないのか……。見れば見るほど不可思議な心持になってくるようです。

作者は、幕末から明治にかけて活躍した江戸生まれの絵師菊池容斎(きくちようさい)

次。

来る、きっと来る

『燭台と幽霊図』(谷文一 画)
『燭台と幽霊図』(谷文一 画)
フッと消えた灯心から煙が立ち上り、すーっと現れたのは痩せさらばえた幽霊。

よく見ると左手を画面の縁にかけていて、今にも画面を通り抜けこちら側に出てきそう。『リング』の貞子を彷彿とさせる恐ろしい1枚です。

作者は江戸時代後期の絵師・谷文一(たにぶんいち)。江戸時代を代表する絵師谷文晁(ぶんちょう)の愛弟子で、後継者として期待されたが32歳の若さで他界……。はかない文一の人生とあわせて見るとさらに物悲しい。

次。メチャクチャ怖いので要注意。

鬼気迫る血まみれの微笑み

『幽霊図』(渓斎英泉 画)
『幽霊図』(渓斎英泉 画)。画像引用元:福岡市博物館
どくどくと真っ赤な血がしたたる美女の生首を幽霊がガッシと掴んでいます。

幽霊というより怨霊といったほうがしっくり来るほど恨みに満ちた幽霊ですが、その顔がニンマリと満足気に微笑んでいるのが恐ろしい。しかも、口からは生々しく血がしたたっています。

よく見ると生首になった美女もうっすら微笑んでいて、恐ろしさ倍増幕末に活躍し退廃的な美女を数多く描いた渓斎英泉(けいさいえいせん)ならではの迫力ある幽霊画です。
流し目と笑みが不気味すぎる

『幽霊図』(円山応岱 画)
『幽霊図』(円山応岱 画)
お歯黒がはげかけた白い歯の見える口元がとっても不気味な幽霊。こちらをすくうように見る流し目もゾッとします。作者は、江戸時代中期の円山派の絵師・円山応岱(まるやまおうたい)です。

次。こちらは歌舞伎のなかの幽霊です。

絵に描いたような「うらめしや~」

『浅倉当吾亡霊 市川小団次』(歌川国芳 画)
『浅倉当吾亡霊 市川小団次』(歌川国芳 画)
農民一揆を題材にした歌舞伎『東山桜荘子(ひがしやまさくらそうし)』に登場する主人公・浅倉当吾の幽霊姿。

まばらな頭髪、ゆがんだ口元、青白い痩身、ベッタリとついた血、極めつけはダラリと垂れた両の手。まさに、「うらめしや~」。この幽霊を演じた四代目市川小団次は工夫を凝らした出で立ちと熱演で大評判をとったとか。

ちなみに作者は江戸時代後期の“奇想の絵師”歌川国芳(うたがわくによし)。ユニークな妖怪画もたくさん描いています。それらはまた別の機会に。

最後は国芳つながりで、国芳の弟子にして自らを「画鬼」と称した奇才・河鍋暁斎(かわなべきょうさい)の幽霊画をいくつかご紹介しましょう。

怨霊の高笑い

河鍋暁斎の幽霊画
河鍋暁斎 画)
かつて愛した男性なのでしょうか。男の生首を掴んで、幽霊が高笑いしています。

大きく口を開けて哄笑するその歪んだ表情は恐ろしさと同時に悲哀に満ちているようにも見えます。

次も暁斎

リアルな生首の生々しき恐怖

『幽霊図』(河鍋暁斎 画)
『幽霊図』(河鍋暁斎 画)
糸のように細い三日月が浮かぶ夜、浮かび上がるのは生首をがっきと咥えた亡霊。

飛び出さんばかりに見開いた目が怖い、骨と皮ばかりなのにやたら力強い口元が怖い、女の幽霊なんだか男の幽霊なんだかわからないところが怖い、妙にリアルな生首が怖い、とにかくこの絵が怖い。

ちなみに、作者の暁斎、8歳の時に神田川で拾った生首を写生したという伝説が残っています。その成果(?)がこの絵に結実しているようです。

次も暁斎

幽霊だけど思慮深げ

『幽霊図』2(河鍋暁斎 画)
『幽霊図』(河鍋暁斎 画)
薄明かりのなか佇む幽霊。半眼のその表情はなんだかとっても思慮深げ。なぜ現世にさまよい出てきたのか理由がきになります。

次。

アクティブに飛び出す

『幽霊図』3(河鍋暁斎 画)
『幽霊図』(河鍋暁斎 画)
掛け軸から完全に抜け出しました。もうこちら側へ来るのも時間の問題……。

うへー恐ろしい。

表装も手前には焔がゆれ、上部には蝶が舞うなど凝っています。この絵のような「今にも出てきそうな幽霊」を描いた幽霊画はいくつかあり、当時の絵師たちのすばらしい発想力、表現力、そして旺盛なサービス精神を感じます。

それにしてもこの幽霊、重たげに垂れ下がる髪といい、のしかかるような体勢といい、幽霊に見下ろされているような感覚に陥り夢に見そうです。



純粋に恐ろしいものからちょっとユーモラスなものまで、幽霊画もさまざま。でも、やっぱり怖いですね。実際に生で見る幽霊画の迫力はこんなものじゃないので、機会があればぜひ!

最後。おまけにもう1枚。

『夢にうなされる子どもと母』(喜多川歌麿 画)
『夢にうなされる子どもと母』(喜多川歌麿 画)
悪夢にうなされる子どもを心配そうにお母さんが見ています。昼間になにか怖いものでも見ちゃったんでしょうか?

今宵、みなさまがこの子どものように悪夢にうなされませんように。

江戸時代の有名怪談、七不思議もあわせてどうぞ。

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パンツを着用しない時代、女性の下着はどんなもの?

銀ブラをする昭和の女性1963年(昭和38年)昭和の女性が、洋装で銀ブラ。和装から洋装への大転換は日本文化にとって大事件でした。[fluct device=PC num=0][fluct device=SP num=0]さて江戸時代、男性の下着は安定のふんどしですね。女性たちは下着としてどのようなものを使用していたかといいますと、それがこれ。『水鶏にだまされて』石川豊信 画(『水鶏にだまされて』石川豊信 画)「湯文字(ゆもじ)」と呼ばれる四角い布です。今でいう「腰巻(こしまき)」。ヒモがついており、巻きスカートのように腰に巻きつけて使用しました。長さは膝より少し下くらいまで。うっかり裾がペラリと開くと陰部が見えてしまうので、そんなことがないよう下着の4ヵ所にはおもりが入っていたとか。素材は木綿で、色は白もしくは緋色。年配女性は浅黄(あさぎ)色が多かったそうです。さらに、湯文字の上に「蹴出(けだし)」というものを着用しました。「裾よけ」ともいいます。これは今でいう「ペチコート」で、歩く際に湯文字がチラ見えするのを防いだり、着物の裾さばきをよくするために使用されました。長さは湯文字より長く、足首までありました。湯文字と異なり蹴出は「見せ下着」、むしろ見られることを意識した下着のため華やかな柄の布が使われ、女性の足元をより色っぽく見せるのに一役買っていました。『浮世名異女図会(うきよめいしょずえ)』「江戸町芸者」歌川国貞 画(『浮世名異女図会(うきよめいしょずえ)』「江戸町芸者」歌川国貞 画)美しい芸者の足元を見ると緋色の蹴出がチラ見え。足の白さと赤い下着の組み合わせの色っぽさ。ちなみに農村部などでは湯文字を使用することもなく完全に「ノー下着」だったそうです。ですので、作業中に「よっこいしょ」と腰をかがめたりすると陰部が丸見えになる、というのは、農村によくあるのどかな風景でした。


江戸時代からナプキン派、タンポン派にわかれていた!?

パンツを着用しなかった時代。ふと頭に浮かぶ疑問は「江戸時代の女性たちは、生理のときどのように処理していたのか?」。現代にあるナプキンやタンポンといった便利な生理用品。ナプキンの原型ともいえる「アンネナプキン」が発売されたのは、わずか50年前、昭和38年(1961年)のことでした。お年寄りが生理のことを「アンネの日」というのはこれに由来しています。「アンネナプキン」発売の広告「アンネナプキン」発売の広告。キャッチフレーズ「40年間お待たせしました!」は、アメリカで使い捨てナプキンが発売されてそれに遅れること40年にしてついに発売、ということを意味しています。[fluct device=PC num=1][fluct device=SP num=1]さて、ナプキンなどがない江戸時代、女性は生理になると前垂れのあるふんどし状の布で押さえていたそうです。これは見た目が馬の顔に似ていることから「お馬」とも呼ばれていました。この「お馬」のなかに再生紙やボロ布を折りたたんだものを入れ、陰部にあてがってナプキンのようにして使用しました。布は洗って何度も使ったとか。また、再生紙や布を丸めて膣に詰め込んだりすることもあったそうです。今でいうタンポンみたいな感じですね。再生紙や布を使うのは都市部のこと。農村部では綿など柔らかな植物を陰部にあてがったり、膣に詰め込んだりしていたといわれています。また、生理期間中は血による“穢れ(けがれ)”を忌み、家族と接しないよう「月経小屋」と呼ばれる場所で生活したとか。ちなみに、これは確認しようがないので定かではありませんが、一説には、江戸時代の女性たちは現代女性に比べインナーマッスルが発達していたため、経血を膣内にためておいて用をたす際に排泄したとも。今風にいうと「経血コントロール」で、そのため簡易な生理用品でも大丈夫だったとか。そもそも経血の量そのものが少なかったという説もあります(諸説あります)。いかんせん生理に関する資料が少ないので確かなことはわかりませんが、現在のような生理用品がなくともなんとかなっていたことだけは確かです。