• 更新日:2019年9月13日
  • 公開日:2016年2月7日


「喜び」と「忌み」が一体となった出産


いよいよ臨月。出産も間近です。

江戸時代の妊婦さんは出産が近くなると家の外に設けられた「産屋(うぶや)」や納屋、もしくは家の土間や納戸に隔離されました。

「なぜ妊婦を隔離!?」と思うかもしれませんが、それは出血を“穢れ(けがれ)”と考える「産の忌み(さんのいみ、うぶのいみ)」という概念があったためです。

出産は喜びにあふれためでたい出来事である一方、大量の出血をともなうので忌むべき穢れ(けがれ)ともとらえられていたわけです。

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「血の穢れが火を通して移る」と考えられていたため、毎食の煮炊きも家族とは別にされました

江戸時代の農村での産屋
農村での産屋のようす。産屋は約1.8~3.6m四方の広さで、中央に見えるのは「力綱(ちからつな)」という出産時に妊婦さんが握り締める綱。画像引用元:子どもの誕生~子育て
ついに出産というときですが、まず、夫は立ち会いません。それだけではなく、なんと医者さえもこの場におらず、場を仕切るのは妊婦の母親や姑、近所の出産に慣れた女性たちでした。

江戸時代ものちになると、「取り上げ婆(とりあげばばあ)」と呼ばれる今でいうところの助産師が“出産のプロ”として出産の介助をしました。お手伝いにはやはり近所の出産経験者が集まり、みんなで力を合わせ出産という一大事に臨みました。

また、江戸時代の分娩ですが、現代のように寝るではなく、しゃがんだままの姿勢で産むのが一般的でした。

これは「座産(ざさん)」とよばれ、上のイラストにあった「力綱」につかまり、農村では藁俵(わらだわら)、都市部では木製の座椅子や布団によりかかり出産しました。

命がけの出産を終えても横になれない!? どころか眠ることもできない!!??


出産は医療の発達した現代でも命がけですが、江戸時代は難産などで出産時や出産後に死亡する女性も多くいました。無事に出産を終えてもそこからがたいへんです。

『春信婚姻之図』(鈴木春信 画)
(『春信婚姻之図』鈴木春信 画)
出産後のようすです。右側には盥(たらい)で産湯につかる赤ちゃん。わかりにくいですが、取り上げ婆の両足に挟まっているのが赤ちゃんです。

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画面中央に出産を終えた女性。左にはお膳を持った女性がいますが、この食事が現代と違う。産後はNGな食べ物が多く、エネルギーを使い切った産婦が口にするのは主にお粥と鰹節だったそうです。これは栄養が足りない。

出産を終えた女性が上半身を起こしていることも注目。「頭に血がのぼってはたいへん」という理由で、産後、最低7日間は横になることはできず上半身を起こした姿勢のままでした。その7日間は眠ってはいけないとされ、力尽きた産婦がウトウトしようものなら、付き人の女性が「いま寝そうだったよ!ホラ寝ないで!」とさかんに話しかけたり、どうしても限界の時は気付け薬を使ったといわれています(理由は諸説あり)。眠らせてあげてほしい。

病家須知(江戸時代の家庭用医学書)
(『病家須知(びょうかすち)』)
江戸時代後期の家庭用医学書『病家須知』に書かれた産後の養生方法。やはり布団を何枚も重ねて頭を高くしています。同書には、妊娠中の心得、胎教、つわり、陣痛の心得、産後の心得など妊娠から産後までの過ごし方が事細かに解説されています。

ちなみに、後産で排出される胎盤(当時は胞衣〈えな〉)。現代では「プラセンタ」とも呼ばれ医療関係や化粧品、健康食品などに活用されています。江戸時代には、胎盤を酒で清めたあと土器に入れ地面に埋めるという風習があったそうです。

へその緒はどうしていたかというと、これは現代と同様に大切に保管されていたとか。俳聖・松尾芭蕉の句にも「旧里(ふるさと)や へその緒に泣く 年の暮」(1687年)というのがあります。「年の暮れに久しぶりに故郷へ帰ったとき、自分のへその緒をふと手に取ると父母のことが思い出されて泣いてしまった」というような意味です。ちなみに、へその緒は薬にもなると信じられていました。

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