• 更新日:2019年9月15日
  • 公開日:2015年12月18日


望まぬ妊娠の末、堕胎という悲しき選択


効果的な避妊方法がなかった江戸時代、望まぬ妊娠をしてしまうことはままありました。その結果、「間引き」と呼ばれる乳児殺しや堕胎が行われることも少なくなかったそうです。

江戸で堕胎専門医として知られたのが「中条流(ちゅうじょうりゅう/なかじょうりゅう)」です。

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中条流は、豊臣秀吉に仕えていた中条帯刀(たてわき)を祖とする外科・産婦人科の一派ですが、堕胎を行うニセ医者たちが「中条流」を名乗ったため、いつの間にか「中条流=堕胎専門医」と認識されてしまうようになり、「中条」といえば堕胎の代名詞となりました。

堕胎専門医 中条流(『絵本譬喩節』より)

画面中央の2人の女性の後ろに「中条流」の看板が見えます。その隣には避妊薬「朔日丸」の看板も。こんなに公然と宣伝されていたんですねぇ。(『絵本譬喩節』より)

どのような治療が行われていたか詳細は不明ですが、かなり強引な方法がとられ母体を害することも多かったとか。また、「中条丸」という中絶薬も当時よく知られていましたが、これは水銀と米粉を混ぜて丸めた錠剤。水銀はいわずとしれた毒物ですので、かなり危険な薬です。

このほか民間では鬼灯(ほおずき)の根を煎じて飲んだりしたそうです。なんでも鬼灯に含まれるヒスタミンという成分が子宮収縮作用があるとか。

こうして行われた中絶ですが、三代将軍・徳川家光の治世である1667年(寛文7)、幕府は「堕胎禁止令」を発布し、堕胎を禁じました。また、五代将軍・綱吉の治世にも同様の禁止令が出されました。しかし、中絶がなくなることはなく堕胎医は潜りの医者として需要に応え続けました。

性の開放化が進んだ江戸時代、効果のほどははなはだ疑問ですが、さまざまな避妊法があったんですね。いずれにせよ、女性側の負担がかなり大きかったようです。

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