• 更新日:2017年5月5日
  • 公開日:2016年2月15日


もうひとつの黒の化粧、眉


女性たちは結婚が決まるとお歯黒をしましたが、これを「半元服」といいます。さらに子どもができると眉をそりました。これを「本元服」といいました。

しかし、お歯黒同様、ある程度の年齢になると既婚・未婚を問わず眉をそり落としたようです。眉をそり落とすと人相が変わるため、眉そりにはかなり覚悟が必要だったとか。

眉をそる江戸時代の女性(『江戸名所百人美女』「芝神明前」三代歌川豊国 画)
(『江戸名所百人美女』「芝神明前」三代歌川豊国 画)
鏡を見ながら真剣な表情で眉をそる女性。

眉墨には黒穂菌(くろぼきん)の寄生した真菰(まこも)の根の粉末が最良とされましたが、手軽な代用品として灯心の上に紙をかざして集めた油煙(ゆえん)がよく使われました。

ちなみに、眉をそり落とすまでは各々の顔にあった眉づくりを楽しんでいたようで、たびたび登場している『都風俗化粧伝』にも眉によって顔の印象が変わることが書かれています。

眉を描く江戸時代の女性(『名筆浮世絵鑑』五渡亭国貞 画)
(『名筆浮世絵鑑』五渡亭国貞 画)
鏡とにらめっこしながら慎重に眉を描く女性。こういう表情は今も昔も変わらない。

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女性の顔を彩る赤の化粧。江戸後期には驚きのトレンドも


江戸メイクの基本3色「白・黒・赤」のうち、唯一鮮やかな色彩を放つ赤は口紅としてだけでなく、頬紅や今でいうアイメイクのように目のふちにも使われました。

さらに、なんとマニキュアのように爪にも使われました。ただし、江戸時代後期になると唇以外にはあまり使われなかったとか。

江戸時代にアイシャドー!?

アイシャドーをする江戸時代の女性(『当世美人合踊師匠』香蝶楼国貞 画)
(『当世美人合踊師匠』香蝶楼国貞 画)
薬指を使って目のふちに紅を施しています。まさにアイシャドー。もとは歌舞伎役者の舞台メイクとして誕生した化粧法ですが、それをマネて女性たちの間でも流行しました。

え!?マニキュアまで!

江戸時代のマニキュア「爪紅(つまべに)」をする女性(『絵本江戸紫』より)
(『絵本江戸紫』より)
爪の先を紅で赤く染める「爪紅(つまべに)」をする女性。江戸時代にもマニキュアのようなものがあったなんて驚きです。しかし、すぐに落ちてしまったとか。

紅は、紅花の花から色素を抽出してつくりましたが、この作業はとても手がかかるうえ大量生産量できなかったので、上質な紅はたいへん高価でした。一説によれば、1回分で30文(約600円)もしたとか!

そのため、紅は紅猪口(べにちょこ)という小さな容器や紅板(べにいた)という金属板に少しずつ塗って売られていました。女性たちは筆または薬指に紅をとって大切に使いました。

紅猪口
画像引用元:ポーラ文化研究所
紅猪口の内側に紅が塗ってありました。使わないときには変色を防ぐため伏せておき、使い終わったらお店に持って行きまた紅を塗ってもらいました。

女性たちの唇を美しく演出する口紅。上品に小さく薄くつけるのがよいとされましたが、江戸時代後期、驚きのトレンドが一世を風靡しました。

下唇玉虫色にした化粧法「笹色紅」(『今様美人拾二景』「てごわそう」渓斎英泉 画)
(『今様美人拾二景』「てごわそう」渓斎英泉 画)

拡大して、よーく見ると下唇が緑色なんです。

下唇玉虫色にした化粧法「笹色紅」(『今様美人拾二景』「てごわそう」渓斎英泉 画)フォーカス

下唇だけに紅をたっぷり重ね塗りすることで玉虫色にした化粧法「笹色紅」。当時の浮世絵に描かれた多くの美人も笹色紅をしています。

上質な紅を重ね塗りしないと玉虫色にならなかったため、笹色紅は豊かさの象徴でもありました。遊女の流行から始まったこのトレンドは庶民にも広まりましたが、紅をふんだんに使えない庶民は裏技をあみだしました。

それは、唇にベースとして墨を塗りその上から薄く紅を付けるという方法。憧れのトレンドに乗るため、江戸時代の女性たちの工夫がわかります。

「化粧」の考え方や意味合いに違いはあれど、200年以上前の江戸の女性たちも、今と変わらず美容書を読み、トレンドをチェックし、自分にあった「美」を追求していたのかと思うとなんだかとても親近感がわいてきます。

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