1703年3月20日
江戸時代前半の武士、播磨国赤穂藩の筆頭家老。『忠臣蔵』こと『仮名手本忠臣蔵』で知られる「元禄赤穂事件」で赤穂浪士たちを率い宿願を果たした。本姓は藤原、「良雄」は諱で、通称(仮名)は「内蔵助」。一...(続きをみる)
- 大石内蔵助の名言
- 『極楽の 道はひとすぢ 君ともに 阿弥陀をそえて 四十八人』
江戸時代前期の武士。「堀部武庸(ほりべたけつね)」と読む。通称は堀部安兵衛。『忠臣蔵』で知られる「元禄赤穂事件」で吉良上野介義央の邸に討ち入りした赤穂浪士四十七士のひとり。浪士随一の剣客で、「高...(続きをみる)
- 堀部安兵衛の名言
- 『梓弓(あずさゆみ) ためしにも引け 武士(もののふ)の 道は迷わぬ 跡と思はば』
江戸時代前期の武士。赤穂浪士のリーダー大石内蔵助良雄の子で、赤穂浪士四十七士のひとり。通称の主税で知られるが、名は良金(よしかね)、幼名は松之丞。播磨国赤穂藩の筆頭家老・大石良雄の嫡男として赤穂...(続きをみる)
江戸時代前期の武士、赤穂浪士四十七士のひとり。八十右衛門は通称で、名は常樹(つねしげ)。米沢藩上杉家の浪人・原七郎の子として生まれた。20歳近く歳の離れた兄・原惣右衛門(元辰)も赤穂浪士四十七士...(続きをみる)
江戸時代前期の武士、赤穂浪士四十七士のひとり。惣右衛門は通称で、名は元辰(もととき)。弟の岡島八十右衛門も四十七士のひとり。米沢藩上杉家の浪人・原定辰の子として生まれ、赤穂藩に仕官した。1701...(続きをみる)
- 原惣右衛門の名言
- 『かねてより 君と母とに 知らせんと 人より急ぐ 死出の山路』
江戸時代前期の武士、赤穂浪士四十七士のひとり。源五右衛門は通称で、名は高房。本姓は近江源氏。家紋は瓜の内釘貫。御三家のひとつ尾張徳川家の家臣の子として名古屋に生まれる。幼い頃に親戚にあたる赤穂藩...(続きをみる)
江戸時代前期の武士、赤穂浪士四十七士のひとりで最高齢となる77歳の義士。弥兵衛は通称で、名は金丸(かなまる)。本姓は近江源氏。家紋は四ツ目結二ツ。同じく赤穂浪士のひとりで「高田の馬場の決闘」で名...(続きをみる)
- 堀部弥兵衛の名言
- 『品もなく 活きすぎたりと 思ひしに 今かちえたり 老いのたのしみ』
江戸時代前期の武士、赤穂浪士四十七士のひとりで副将的存在。忠左衛門は通称で、名は兼亮(かねすけ)、本姓は藤原氏。家紋は丸の内花菱。同じく赤穂浪士のひとりである貝賀友信は実弟、さらに三男の吉田沢右...(続きをみる)
- 吉田忠左衛門の名言
- 『君がため 思いぞ積もる 白雪を ちらすは今朝の みねの松風』
江戸時代前期の武士、赤穂浪士四十七士のひとり。沢右衛門は通称で、名は兼貞(かねさだ)。父・吉田忠左衛門(兼亮)も赤穂義士のひとりで副将的役割を果たした人物。沢右衛門は忠左衛門の三男だが兄が2人と...(続きをみる)
江戸時代前期の武士、赤穂浪士四十七士のひとり。勘六は通称で、名は行重(ゆきしげ)。家紋は六ツ星。同じく赤穂浪士のひとり奥田貞右衛門(行高)は異父弟。祖父が赤穂藩の典医として仕えた縁から勘六も赤穂...(続きをみる)
江戸時代前期の武士、赤穂浪士四十七士のひとり。久大夫は通称で、名は正明(まさあき)。家紋は右三つ巴(巴とも)。姓名の読みは「まなせきゅうだゆう」であるという説もある。子の間瀬孫九郎、従兄の小野寺...(続きをみる)
- 間瀬久大夫の名言
- 『雪とけて 心にかなう あした哉』
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江戸時代前期の武士、赤穂浪士四十七士のひとり。父・間瀬久大夫とともに親子で義挙に参加した。孫九郎は通称で、名は正辰(まさとき)。姓名の読みは「まなせまごくろう」という説もある。家督は継いでおらず...(続きをみる)
江戸時代前期の武士、赤穂浪士四十七士のひとり。源蔵は通称で、名は重賢(しげかた)。姓名の読みは「あかはにげんぞう」とう説もある。「赤穂事件」を題材にした物語『仮名手本忠臣蔵』のなかでは「赤垣源蔵...(続きをみる)
江戸時代前期の武士、赤穂浪士四十七士のひとり。又之丞は通称で、名は高教(たかのり)。妻のゆうは、大石内蔵助のいとこにあたる。家紋は細輪に三引。赤穂藩浅野家の家臣の子として生まれ、赤穂藩士となると...(続きをみる)
- 潮田又之丞の名言
- 『もののふの 道とはかりを 一すしに 思ひ立ぬる 死出の旅路に』
江戸時代前期の武士、赤穂浪士四十七士のひとり。助右衛門は通称で、名は正因(まさより)。俳諧をたしなむ文化人で、松尾芭蕉の高弟・宝井其角(きかく)に師事し、自身も「春帆」の号を持つ。赤穂藩御留守居...(続きをみる)
- 富森助右衛門の名言
- 『先立ちし 人もありけり 今日の日を ついの旅路の 思ひ出にして』
江戸時代前期の武士、赤穂浪士四十七士のひとり。数右衛門は通称で、名は正種(まさたね)。家紋は隅角切に横一。赤穂藩譜代・不破家の養子となり家督を継ぐが、粗野な性格で同僚トラブルを起こしたり、刀の切...(続きをみる)
江戸時代前期の武士、赤穂浪士四十七士のひとり。金右衛門は通称で、名は包秀(かねひで)、幼名は九十郎。伯父・小野寺十内、従弟・大高源五も赤穂浪士として討ち入りに参加している。家紋は釘貫。『忠臣蔵』...(続きをみる)
- 岡野金右衛門の名言
- 『その匂い 雪のあさぢの 野梅かな』
江戸時代前期の武士、赤穂浪士四十七士のひとり。十内は通称で、名は秀和(ひでかず)。家紋は木瓜。養子の小野寺幸右衛門(秀富)や甥の岡野金右衛門(包秀)も義士として討ち入りに参加している。妻の丹とは...(続きをみる)
- 小野寺十内の名言
- 『忘れめや 百に余れる 年を経て ことへし代々の 君がなさけを』
江戸時代前期の武士、赤穂浪士四十七士のひとり。幸右衛門は通称で、名は秀富(ひでとみ)。養父の小野寺十内、実兄の大高源五も義士として討ち入りに参加している。赤穂藩浅野家の家臣・大高兵左衛門の子とし...(続きをみる)
- 小野寺幸右衛門の名言
- 『今朝もはや いう言の葉も なかりけり なにのためとて 露むすぶらん』
江戸時代前期の武士、赤穂浪士四十七士のひとり。岡右衛門は通称で、名は貞行(さだゆき)。家紋は丸に違い丁字。赤穂藩浅野家の譜代家臣の子として生まれ、馬廻り役と絵図奉行を兼任した。学問好きの人物で早...(続きをみる)
- 木村岡右衛門の名言
- 『思ひきや わが武士の道ならで かかる御法(みのり)の 縁にあうとは』
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江戸時代前期の武士、赤穂浪士四十七士のひとり。孫太夫は通称で、名は重盛(しげもり)。同じく義士の奥田貞右衛門は娘婿。孫太夫は真心影流の剣客としてしられ大太刀を得意とし、同じく義士の堀部安兵衛とは...(続きをみる)
江戸時代前期の武士、赤穂浪士四十七士のひとり。貞右衛門は通称で、名は行高(ゆきたか)。同じく義士の奥田孫太夫は義父で、これまた同じく義士の近松勘六は異父兄。赤穂藩浅野家家臣の子として生まれ、のち...(続きをみる)
江戸時代前期の武士、赤穂浪士四十七士のひとり。藤左衛門は通称で、名は満尭(みつたか)。備前国岡山藩の池田家家臣の子として生まれたが、家督を兄が継いだため、播磨国赤穂藩の浅野家家臣・早水家の婿養子...(続きをみる)
- 早水藤左衛門の名言
- 『地水火風 空のうちより いでし身の たどりて帰る もとのすみかに』
江戸時代前期の武士、赤穂浪士四十七士のひとり。五郎右衛門は通称で、名は助武(すけたけ)。赤穂藩浅野家家臣の子として生まれ、父の死後、家督を相続すると江戸詰めの藩士となり、主君・浅野内匠頭長矩が刃...(続きをみる)
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江戸時代前期の武士、赤穂浪士四十七士のひとり。瀬左衛門は通称で、名は信清(のぶきよ)。大石内蔵助の嫡男・主税を除いて、大石家から唯一義盟に加わった若者。大石内蔵助と同じく東軍流剣術を学んでいた。...(続きをみる)
江戸時代前期の武士、赤穂浪士四十七士のひとり。十郎左衛門は通称で、名は正久。幕臣に仕える武士の子として生まれたが、主家の断絶により父が浪人となると、美少年だった十郎左衛門は京の愛宕山教学院の稚児...(続きをみる)
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江戸時代前期の武士、赤穂浪士四十七士のひとり。喜兵衛は通称で、名は光延(みつのぶ)。大石内蔵助とは遠縁の間柄で、長男・十次郎、次男・新六郎とともに親子3人で討ち入りに参加した。山鹿流兵学を学び、...(続きをみる)
- 間喜兵衛の名言
- 『草枕 むすぶ仮ねの 夢さめて 常夜にかえる 春のあけぼの』
江戸時代前期の武士、赤穂浪士四十七士のひとり。十次郎は通称で、名は光興(みつおき)。父・間喜兵衛、弟・新六郎とともに家族3人で討ち入りに参加した。江戸一番の剣客として知られた堀内源左衛門の道場で...(続きをみる)
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江戸時代前期の武士、赤穂浪士四十七士のひとり。新六郎は通称で、名は光風(みつかぜ)。父・間喜兵衛、兄・十次郎とともに家族3人で討ち入りに参加した。間喜兵衛の次男として生まれ、赤穂藩の舟奉行・里村...(続きをみる)
- 間新六郎の名言
- 『思草 茂れる野辺の 旅枕 仮寝の夢は 結ばざりしを』
江戸時代前期の武士、赤穂浪士四十七士のひとり。勘助は通称で、名は正辰(まさとき)。伯父・間瀬久太夫と従弟・間瀬孫九郎も義士として討ち入りに参加している。越後国村上藩の松平家家臣の子として奥州は陸...(続きをみる)
- 中村勘助の名言
- 『梅が香や 日足を伝ふ 大書院』
江戸時代前期の武士、赤穂浪士四十七士のひとり。三郎兵衛は通称で、名は光忠(みつただ)。摂津国高槻藩永井家の家臣の子として生まれたが、同族の千馬家の養子となり家督を継いだ。赤穂藩では馬廻り役などを...(続きをみる)
江戸時代前期の武士、赤穂浪士四十七士のひとり。半之丞は通称で、名は政利(まさとし)。子どもの頃、赤穂に配流中だった兵学者・山鹿素行に直接教えを受け、のち赤穂藩家老の大石頼母助良重につき山鹿流兵学...(続きをみる)
江戸時代前期の武士、赤穂浪士四十七士のひとり。喜兵衛は通称で、名は秀直(ひでなお)。もと浪人の町人の子として江戸で生まれ、のち赤穂藩士の和算学者・村松茂清の婿養子となった。赤穂藩では江戸詰めの藩...(続きをみる)
江戸時代前期の武士、赤穂浪士四十七士のひとり。三太夫は通称で、名は高直(たかなお)。父は同じく義士の村松喜兵衛。主君・浅野内匠頭長矩が刃傷事件を起こした時は、江戸詰め藩士だった父とともに江戸にい...(続きをみる)
- 村松三太夫の名言
- 『極楽を ことわりなしに 通らばや 弥陀もろともに 四十八人』
江戸時代前期の武士、赤穂浪士四十七士のひとり。伝助は通称で、名は武幸(たけゆき)。7歳(6歳とも)の時に父を亡くし幼くして家督を継ぐと、赤穂藩主・浅野内匠頭長矩に中小姓として仕えた。主君・長矩が...(続きをみる)
江戸時代前期の武士、赤穂浪士四十七士のひとり。源五は通称で、名は忠雄(ただお)。家紋は丸に三盛亀甲花菱。実弟・小野寺幸右衛門、伯父・小野寺十内も義士として討ち入りに参加している。首は太くて短く、...(続きをみる)
- 大高源五の名言
- 『梅で呑む 茶屋もあるべし 死出の山』
江戸時代前期の武士、赤穂浪士四十七士のひとり。右衛門七(えもしち)は通称で、名は教兼(のりかね)。義士のなかでは大石主税に次いで若かった。女性に間違えられるほどの美青年だったという。赤穂藩主・浅...(続きをみる)
- 矢頭右衛門七の名言
- 『出る日の ひかりも消て 夕ぐれに いはなんことは かなしかりける』
江戸時代前期の武士、赤穂浪士四十七士のひとり。新左衛門は通称で、名は武尭(たけたか)。若いながらも剣術の達人。幼くして父と母を亡くし家督を継ぐと、赤穂藩主・浅野内匠頭長矩に中小姓として仕えた。主...(続きをみる)
江戸時代前期の武士、赤穂浪士四十七士のひとり。唯七は通称で、名は隆重(たかしげ)。祖父は帰化中国人の孟二寛で、祖をたどれば孟子にいきつく。赤穂藩士・渡辺式重の次男として生まれ、兄が渡辺家を継ぎ、...(続きをみる)
江戸時代前期の武士、赤穂浪士四十七士のひとり。伊助は通称で、名は宗房(むねふさ)。赤穂藩浅野家家臣の子として生まれ、家督を継ぐと浅野家の江戸詰め家臣として仕えた。主君・浅野内匠頭長矩が刃傷事件を...(続きをみる)
- 前原伊助の名言
- 『春来ぬと さしもしらじな 年月の ふりゆくものは 人の白髪』
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江戸時代前期の武士、赤穂浪士四十七士のひとり。弥左衛門は通称で、名は友信(とものぶ)。実兄の吉田忠左衛門、甥の吉田沢右衛門、岡島八十右衛門も同じく義士として討ち入りに参加した。赤穂藩浅野家家臣の...(続きをみる)
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江戸時代前期の武士、赤穂浪士四十七士のひとり。和助は通称で、名は常成(つねなり)。美作国津山藩(岡山県津山市)の森家家臣の子として津山に生まれ、森家に仕えたあと、赤穂藩浅野家に再仕官した。なお、...(続きをみる)
- 茅野和助の名言
- 『天地の 外にあらじな 千種だに 本さく野べに かるると思へば』
江戸時代前期の武士、赤穂浪士四十七士のひとり。十平次は通称で、名は次房(つぎふさ)。十平次自身は微禄ながら、母方の実家・荻原家は藩内でも知られる裕福な家だった。主君・浅野内匠頭長矩が刃傷事件を起...(続きをみる)
江戸時代前期の武士、赤穂浪士四十七士のひとり。与五郎は通称で、名は則休(のりやす)。家紋は蛇の目。大高源五と並び浅野家家中きっての俳人として知られ、「竹平」の俳号を持つ。また、浪士随一の酒豪とい...(続きをみる)
- 神崎与五郎の名言
- 『梓弓 春近ければ 小手の上の 雪をも花の ふぶきとや見ん』
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江戸時代前期の武士、赤穂浪士四十七士のひとり。次郎左衛門は通称で、名は包常(かねつね)。赤穂藩浅野家に仕えるが役職は台所役という非常に低い身分だった。そのため、主君・浅野内匠頭長矩が刃傷事件を起...(続きをみる)
- 三村次郎左衛門の名言
- 『雪霜の 数に入りけり 君がため』
江戸時代前期の武士、赤穂浪士四十七士のひとり。勘平は通称で、名は宗利(むねとし)。いつ頃かは不明だが赤穂藩主・浅野内匠頭長矩に仕え、長矩が刃傷事件を起こした時は江戸にいたがすぐに赤穂へ戻った。は...(続きをみる)
- 横川勘平の名言
- 『きがかりも なくて今年の 霞かな』
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