時は江戸時代中期。元禄時代という絢爛豪華なバブル期が終焉し、世間には不況の風が吹き、飢饉が相次ぎ、幕府も財政難にあえぐようになっていました。
そんな時、さっそうと登場したのがこのお方。
“暴れん坊将軍”こと8代将軍・徳川吉宗。
紀州からやってきた吉宗は、幕府を立て直すため大改革に乗り出します。そして掲げたのが…
質素倹約
派手なファッションはダメ、芝居や遊郭もダメ、祭りもダメ、ぜいたくな食事もダメ……と、とくかく「ぜいたくは敵!」。
吉宗自ら、将軍でありながら着物は質素な木綿のものを身にまとい、食事は地味メシを1日2食、諸大名からの贈り物も制限するなど、まるで質素倹約の権化のような生活をしました。
天下の将軍がお手本を示しているのにぜいたくするわけにはいかず、諸大名も右にならえと質素倹約を実行します。
質素倹約を強いられたのは諸大名だけではありません。商人や町人、農民といった一般の人々もぜいたくや遊びを禁じられ、果てには子どものオモチャのサイズまで細かく制限される始末。これはつまらない。
このように、吉宗の旗振りのもと“日本全国総質素倹約”状態だった時代にあって、幕府とは正反対のスタンスをぶち上げた大名が現れた。
「質素倹約とか、たわけたことやっとったらいかんがね!」
その大名の名は尾張藩主・
徳川宗春(とくがわむねはる)。
宗春は初めて藩主として領国である尾張名古屋に入る(お国入り)の時のファッションからぶブッ飛んでいました。
普通、お殿様のお国入りといえばこんな感じに整然とした大名行列。
しかし宗春はと言うと、
そもそも駕籠に乗ってない。
またがるは漆黒の馬。
ファッションは、馬と同じ黒で統一したオールブラック。
黒い着物は、めくると裏側が真っ赤。
そして、頭には見たこともないような巨大な異国風の笠。
お殿様の大名行列というと、通常なら通行人は土下座しなければならないのですが、宗春に限っては土下座無用、お殿様の顔を見てOK!だったとか。なんともフランク。
「こりゃ、どえりゃ~お殿様が来たがね」
名古屋っ子たちは異様ともいえる格好の「我が殿様」に衝撃を受けます。
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