年の差なんと40歳! 師弟愛を超えた純愛
僧侶・良寛
良寛は江戸時代後期の僧侶で、歌人や書家としても知られています。
良寛といえば、なんといっても子どもたちとの心温まるエピソードの数々が有名。「子どもの純真な心こそ仏の心」と考えていた良寛は、子どもたちと遊ぶことを楽しみ、一日中でも手毬やかくれんぼに興じました。
「この宮の木(こ)したに子どもらと遊ぶ夕日は暮れずともよし」
なんて歌には、良寛の子どもたちに対する愛情があふれているようです。
良寛は僧侶でしたが、自分の寺を持つことはなく難しい説法もせず、貧しいながらも清らかな生活を送り、誰もが理解できるわかりやすい言葉で人々に仏の道を説きました。
「良寛さん」と親しみを込めて呼ばれ老若男女問わず多くの人々から愛された良寛のイメージはまさに“仏”。そんな良寛が晩年に心を通わせたひとりの女性がいました。
その女性の名は貞心尼(ていしんに)。俗名は奥村ます。誰もが見とれる美貌の尼僧でした。
2人が出会ったのは、良寛70歳、貞心尼30歳の頃といわれています。
年の差なんと40歳。
運命の出会いのきっかけは、高名な良寛を慕って貞心尼が手紙に歌をしたため送ったこと。仏の道を探求する師弟として始まった2人の関係ですが、やがて師弟愛を超えた深い愛情で結ばれていきます。
良寛の最期を看取ったのも貞心尼なのですが、出会ってから世を去るまでの5年間、2人は頻繁に歌のやり取りをしました(相聞歌)。
良寛の死後、その歌の数々は貞心尼によって歌集『蓮の露(はちすのつゆ)』としてまとめられましたが、やりとりされた歌はそのまま2人の愛の遍歴。
肉体関係があったかは不明ですが、良寛と貞心尼が心の深い部分で強く結びついていたことがよくわかります。
個人的オススメがこちらのやりとり。
山がらす 里にいゆかば 子がらすも いざなひて行け 羽よわくとも
(山ガラスが里におでかけになるのなら、子ガラスも一緒に連れて行ってくださいな。羽が弱くても)
(山ガラスが里におでかけになるのなら、子ガラスも一緒に連れて行ってくださいな。羽が弱くても)
これに対し
いざなひて ゆかばゆかめど 人の見て あやしめ見らば いかにしてまし
(連れて行くのはいいけど、人が見て怪しんだらどうしたらいいものでしょう)
(連れて行くのはいいけど、人が見て怪しんだらどうしたらいいものでしょう)
さらにこれに対し
とびはとび すずめはすずめ さぎはさぎ からすとからす なにかあやしき
(鳶は鳶、スズメはスズメ、鷺は鷺、カラスとカラスが一緒に連れだっていることのなにがおかしいのです?)
(鳶は鳶、スズメはスズメ、鷺は鷺、カラスとカラスが一緒に連れだっていることのなにがおかしいのです?)
若い貞心尼の積極性とユーモラス、おおらかさがとてもいいです。人目を気にしてためらう良寛の背をニコニコと押す貞心尼が目に浮かぶようです。
愛する人に見送られて世を去った良寛は幸せだったのではないでしょうか。
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