北斎70年間の絵師人生
入場前に音声ガイドは借りるべし
とにかく膨大な作品量が展示されている今回の企画展(六本木ヒルズ 森アーツセンターギャラリー)。監修したのは、北斎研究の第一人者で北斎作品のコレクターとしても知られた永田生慈氏。
残念ながら昨年逝去されたのですが、永田氏の北斎愛にあふれた本展は、軽く見るだけで1時間、じっくり見たら3時間はかかると思います。作品には解説が書かれているものもあるし、自分の解釈で作品を眺めたいという方も多いでしょう。
がしかし、音声ガイドを強くオススメしたい!声を担当しているのは女優の貫地谷しほりさんと講談師の神田松之丞さん。
作品解説のほか、北斎の生涯、エピソード、評価など充実の内容でレンタル料は550円とリーズナブル。「なるほどな」と思わず頷く情報を聞きながらの作品鑑賞は満足感が高いので、音声ガイドをレンタルしたことがないという方はぜひ一度お試しを。
北斎ビギナーにもわかりやすい構成
人生で93回も引っ越しをした“引っ越し魔”として有名な北斎ですが、画号を変えることもしょっちゅうで30以上もの画号を使いました。
お金に困った挙句、弟子に画号を売る、なんてこともしたそう。そんな北斎が70年の絵師人生のなかで描いた作品はなんと3万点。ちょっと信じがたいような作品数です。
北斎といえば『富嶽三十六景』や『北斎漫画』が特に有名ですが、これらは晩年の作品のほんの一部。
北斎はその長い絵師人生のなかで画号とともに作風も大きく変えています。常に貪欲に絵に取り組んでいたんですね。
余談ですが、2020年の東京オリンピックに向けてパスポートのデザインが一新されるのですが、パスポートの内側のデザインに『富嶽三十六景』が採用されたそうです。
あまりに巨大な北斎の画業の全貌を知るのは北斎初心者にとってかなりハードルの高いものですが、『新・北斎展』では北斎70年間の絵師人生を作風の変遷と主要な画号により6期に分けてわかりやすく紹介してくれているので、とにかくわかりやすい。
1期ずつの作品数もかなりあるので、その時期における北斎の筆の変化も感じることができます。
ではデビューからざっくりみていきましょう。
絵師としては遅いデビュー。師に習いつつ自分の画風を模索した「春朗期」(20〜35歳頃)
北斎が生まれたのは1760年(宝暦10年)9月23日、場所は隅田川東岸の本所エリアといわれています。北斎の幼少期についてはよくわかっておらず、一説に版下彫の仕事をしていたとも。
絵の道に入ったのは19歳の時。当時、役者絵や肉筆画の名手として一世を風靡していた勝川春章を師とし、20歳で本格デビューをします。これは絵師としては遅いものだったそう。この時代の号が「春朗(しゅんろう)」。まだ“北斎”ではありませんでした。
こちらはデビュー作のひとつ。師・春章が得意とした役者絵です。ちなみに師の役者絵がこちら。
こうして見るととてもよく似ています。師になぞって丁寧に描こうという若き日の北斎の真摯さが伝わってくるようです。
師・春章のもとにいた15年間で、北斎は役者絵だけでなく美人画、子ども絵、名所絵、武者絵など幅広いジャンルの作品を200点ほどを発表したほか、黄表紙や芝居絵本などの挿絵は700点も手がけたそう。
師の春章が大らかな人物だったこともあり、若き北斎は師から学ぶだけでなく、他流派からも貪欲に学び自分の作品に取り込んでいきました。
では、新・北斎展で個人的にグッときた春朗期の作品をいくつか紹介します。
3D浮世絵への挑戦
これは西洋の遠近法を取り入れた「浮絵(うきえ)」と呼ばれるジャンルの作品。手前に人でごった返す両国広小路、中央に両国橋、その向こうに夜空を染める花火、そして遠くに満月を配することで一枚の絵のなかに花火大会でにぎわう隅田川の風景を広々と表現しています。見つめていると吸い込まれそうです。
ムチムチな子どもたち
狂言の名シーンを子どもの遊びに見立てた作品。ぷりぷりのお尻を丸出しにして踊る子どもの可愛らしさよ。
鬼がなんだか愛らしい
描かれているのは鎌倉時代の武士でその豪勇ぶりから後世、歌舞伎や狂言の登場人物として人気者になった朝比奈三郎。太い煙管をくわえ、酒樽にもたれかかっています。その背後には鬼がいるのですが、その鬼の表情がなんともいえないひょうきんさがありユニークです。
うなじの色気がものすごい
春朗期の貴重な肉筆美人画で、武家の奥さまや町娘、遊女などが描かれています。透明感のあるすらりとした立ち姿は清楚なのにものすごい迫力。なかでも後ろ向きに座る女性のうなじのけぶるような色気は目を離せないほど。高さ1mを超える大作。
生きるがごとき鍾馗さまの迫力
全身から気を発した鍾馗さまが今まさに鬼にとどめを刺そうとしています。太い線で勢いよく描かれた鍾馗さまの着物と髪の毛やヒゲのふわふわとした描線の対比が印象的。鍾馗さまの足にすがるようにする鬼がかわいそうにもなってきます。この真っ赤な鍾馗さまは疱瘡除けとして信仰され、子どもの日の幟(のぼり)などによく描かれました。ちなみに「春朗」の画号が描かれた肉筆画は現存するものとしてはこれだけなのだそう。
この『鍾馗図』の画号は「叢(くさむら)春朗」とあるのですが、この画号は師・春章が没した翌年から使い始めたもので、北斎は次第にそれまで属していた勝川派から離れ次のステップに進みます。
余談ですが、春朗期の北斎は貧乏暮しで絵師として活動する傍ら唐辛子売りのバイトなどもしていたとか。ちなみに唐辛子売りというのはこんな格好。
6尺(約180㎝)もの巨大なハリボテ唐辛子を背負って唐辛子を売り歩くものなのですが、なかなか勇気のいる格好です。しかもあろうことか北斎はこのバイト中に師の春章夫妻にばったり出くわしてしまったらしい。想像するだに気まずい……。
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