江戸時代のタバコの値段や銘柄、タバコ入れなどを特集

子どもも喫煙OKだった! 江戸時代の驚きのタバコ事情とは【銘柄やタバコ入れも】

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日本で喫煙の風習が広まった400年前。喫煙ルールや銘柄、値段は現在と全く異なっていました。そして、嫌煙家VS愛煙家のバトルは当時からあったのです!


遊女が朱色の長煙管(きせる)で一服。なんとも色っぽい(『北廓全盛競 大文字屋内一墨』喜多川歌麿 画)

江戸時代前期は何度もタバコ禁止令が出された冷遇期


世界にタバコが広まったきっかけは、コロンブスの新大陸発見(1492年)だと言われています。日本にタバコが伝来した時期については諸説ありますが、16世紀後半には日本にあったとか。



日本で一番初めにタバコの種をポルトガル人宣教師から受け取ったのはこの方。




神君・徳川家康

家康が江戸に幕府を開く2年前の1601年(慶長6年)、スペインのフランシスコ会の宣教師ヘロニモ・デ・ヘススが家康に謁見し、タバコの種を献上したのが記録に残る最古のものといわれています。この時、タバコを原料に加えた薬も献上されたんだとか。

それからほどなく、国内でもタバコの栽培がおこなわれるようになり、江戸時代初期の慶長年間(1596~1615年)には喫煙の風習も広まり始めたそう。

しかし、これに対し、幕府が「待った」をかけ、タバコ禁止令を何度も出したのです。

喫煙もダメ、タバコを栽培するのもダメ、売買もダメ。売買がバレた場合、家や財産が没収されるなんて厳しい罰則もあったとか。

なぜ、幕府はタバコを禁じたのか?その理由は次の通り。

  1. タバコの火による火災の増加
  2. アウトロー集団「かぶき者」への統制
  3. 年貢米の確保

などなど。順番に説明します。

タバコ禁止の理由
1.火災対策


江戸時代の建築物は木と紙が基本ですのでとにかく火に弱い。

特に江戸は火事が多く、幕府の悩みの種だったので、火災の原因となるタバコの火は当然ながら取り締まり対象になりました。


1806年(文化3年)に起きた「文化の大火」を描いたもの。木造建築なだけに火の回りは早く大火事になりやすかった
なので、もちろん「歩きタバコ」は厳禁。

江戸時代中期のある火事では、火災の原因が女性のくわえタバコによる失火だと判明すると、その女性は火あぶりの刑に処せられたんだとか。

タバコが原因で死刑になってしまうなんて、現代では考えられませんね。

ちなみに、江戸城内も全面禁煙だったそう。

ただし、4代将軍徳川家綱の時に緩和され、江戸城内には喫煙エリアができたそうです。今も昔も愛煙家は肩身が狭いですね。


タバコ禁止の理由
2.「かぶき者」への統制


これは江戸時代初期ならではの問題。

当時、奇抜なファッションに身を包み、徒党を組んで乱暴狼藉を働くアウトロー集団「かぶき者(傾奇者)」が江戸や京などの都市部にいました。

珍奇を好んだ彼らは南蛮渡来のタバコも好み、グループのシンボルにしたり、当時の喫煙道具である煙管(きせる)もやたらめったらデッカくし、それを武器に喧嘩をしたりしたそう。

反社会的集団として「かぶき者」の取り締まりをしていた幕府にとって、彼らがシンボルにしていたタバコも取り締まり対象になったわけです。


町でけんかする「かぶき者」。腰に差している刀もめちゃくちゃ長い(『豊国祭礼図屏風』より)
タバコ禁止の理由
3.年貢米の確保


ご存知のように江戸時代の納税の基本は米。なので米の収穫量は幕府にとっても重要でした。

しかし、喫煙の風習が広まり始めると農家もタバコ栽培に目をつけ、タバコへの転作をするようになりました。「このままでは年貢米の確保が危ぶまれる!」と幕府は危機感を募らせ、タバコ禁止令を出したのです。

初代将軍・家康2代将軍・秀忠3代将軍・家光の頃まではタバコに関する幕府の態度は厳しく何度も禁止令が出されました。

一説に徳川家光の時には「刀狩り」ならぬ「煙管(きせる)狩り」が行われ、日本橋のたもとに設置された煙管捨て場には没収された煙管が山のように集まったとか。

しかし、禁じられれば禁じられるほどやりたくなるのが人の常。タバコ人気は衰えず、禁止令もぜんぜん守られずにやがて形骸化してしまいます。

そして、喫煙の風習も時代とともにますます広まり、老若男女問わずタバコを喫むようになりました。


月見をしながら一服(『絵本四季花』より 喜多川歌麿 画)

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