江戸時代の子どもの日(端午の節句)を紹介!

江戸時代の鯉のぼりは黒一色! 数百年前の子どもの日がいろいろと興味深い

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色とりどりの鯉が大空を泳ぎ、ちまきや柏餅を食べながら子どもの健やかな成長を願う。そう、5月5日は「こどもの日」。現代でもなじみ深い「こどもの日」ですが、その由来や歴史は意外と知らないもの。ということで、江戸時代の「こどもの日」へご案内!


巨大な鯉のぼりが空を泳ぎ、屋敷のなかには武具飾りや武者人形が飾られています(『江戸砂子年中行事 端午の図』揚州周延 画) 

「端午の節句」ってどういう意味?


屋根よ〜り〜高い鯉のぼり〜♪ という童謡『こいのぼり』でもおなじみ、毎年5月5日は「こどもの日」です。3月3日の「ひな祭り」が女の子のお祭りなら、5月5日の「こどもの日」は男の子が主役。

ちなみに、「こどもの日」が国民の休日となったのは戦後の1948年(昭和23年)のこと。今では「こどもの日」という呼び名が一般的になっていますが、正式名称は「端午(たんご)の節句」といいます。


屋根の上にある物干し場でくつろぐ女性たちと赤ちゃん。背後には端午の節句を祝う幟(のぼり)が見えます。また頭上には巨大な鯉のぼりも(葛飾北斎 画)
江戸時代にも「こどもの日」こと「端午の節句」は幕府により重要な日(式日)と決められていました。「端午の節句」のほか4つの節句があり、合わせて「五節句」といいます。

  • 1月7日「人日(じんじつ)の節句」
  • 3月3日「上巳(じょうし/じょうみ)の節句」←いわゆる「ひな祭り
  • 5月5日「端午の節句」 ←これが「こどもの日」
  • 7月7日「七夕の節句
  • 9月9日「重陽(ちょうよう)の節句」


現代ではほぼその存在を忘れられている「重陽の節句」は9月の大事な行事でした。別名「菊の節句」とも呼ばれるように、菊を愛でたり、菊酒を飲んだりして健康を願いました(『十二ヶ月の内 九月 縁日の菊』渓斎英泉 画)


ちなみに、現代、わりとスルーされがちな七夕も江戸時代には幕府認定の重要な祝い日だったんですね(『雅遊五節句之内七夕』歌川国芳 画)
ここで、ちょっとウンチク。

「端午の節句」の「端」とは「はじめ」を意味し、「端午」とは「月のはじめの午(うま)の日」のことです。つまり、「端午」とは本来5月に限ったはなしじゃなかったんです。これがいつの頃からか、「午(ご)」と「五」の音が同じこと、奇数が重なるのはオメデタイということなどが合わさって5月5日=端午の節句となったんだとか。

なお、江戸時代にも端午の節句は5月5日に行われていたんですが、もちろん旧暦の5月5日。なので、現代の新暦カレンダーにすると5月下旬から6月上旬あたりになります。

2017年の場合だと、旧暦5月5日は新暦5月30日になります。江戸時代のこどもの日は初夏のイベントでした。


女性たちは晴れ着に身を包み、子どもたちは戦いごっこに汗を流す。遠くには屋根より高い鯉のぼりが大空を泳いでいます。ちなみにこちらの作品は“画鬼”河鍋暁斎の娘、河鍋暁翠(きょうすい)のもの(『五節句之内 皐月』)


厄払いイベントから男の子のイベントへ


「端午の節句」というとイコール「男の子の成長を願うイベント」というイメージがありますが、もともとは男の子無関係の行事でした。

古代中国では「五月は1年で一番悪い月」と考えられていたそうで、特に念入りに厄払いが行われていたんだそう。そこで、その香りから邪気を払う神聖なパワーを持つという蓬(よもぎ)や菖蒲(しょうぶ)などを門に飾ったりしました。

この風習が奈良時代に日本にも伝来し、平安貴族たちも軒先に菖蒲や蓬をさげたり、冠に菖蒲の葉を飾ったり、「薬玉(くすだま」というマジカルアイテムを贈りあってそれを柱や簾(すだれ)にかけて邪気を払いました。


薬玉(端午の節句)。画像引用元:弥生神社
こちらが「薬玉」。沈香(じんこう)や丁子(ちょうじ、クローブとも)といった香料を布で包んで球状にし、蓬や菖蒲の葉、造花などで飾り、五色のひもを垂らしたものです。

かの清少納言も『枕草子』のなかで「節は五月にしく月はなし。菖蒲、蓬などのかをりあひたる、いみじうをかし(中略)中宮などには縫殿(ぬいどの)より御薬玉とて色々の糸を組み下げて参らせたれば、御帳(みちょう)立てたる母屋(もや)の柱に左右に付けたり」と書いています。超訳すると『節句といえば端午の節句がイチバンね。菖蒲や蓬の香りが混じり合って超いい感じ。中宮の御所には縫殿からカラフルな糸が下がった「薬玉」が献上されて、御帳台を立てた母屋の柱の左右にその薬玉をかけるの」という感じでしょうか。

晴れ渡る平安の青空のもと、カラフルな薬玉からいい香りが漂うようすが目に浮かぶようです。


文をしたためる女性が見上げているのが菖蒲の葉でつくった薬玉。今ではほとんど見かけないですね(『十二ケ月の内 五月 くす玉』渓斎英泉 画)

また、端午の節句の頃は現代でいえば梅雨の時期にあたりさまざまな薬草がたくさん生えたので、平安貴族たちは野山にでかけ薬草つみを楽しんだりもしたそうな。現代ではすっかり消えてしまった端午の節句の風景ですね。

さて、雅やかな貴族の時代から、血気盛んな武士の時代へ変わると「端午の節句」のありかたは激変します。

厄払いアイテムとして使われていた菖蒲が「尚武(武を尊ぶという意)」「勝負」に通じる、そのシュッとした見た目が刀に似ているなどから、「端午の節句」が「尚武の節句」として武家で盛んに行われるようになったのです。さらにそこから、男の子の成長や出世を願う日へと変わっていきました。

ここでちょっと余談。

「端午の節句」で重要な菖蒲ですが、イメージはこんな植物なはず。



紫がかったブルーの花が美しい。たしかに「こどもの日」が近づくとよく見かけます。しかし!これは菖蒲ではなく花菖蒲(はなしょうぶ)というアヤメ科の植物。菖蒲は菖蒲でも菖蒲ちがいです。

一方、「端午の節句」で使われる菖蒲の花はこんな感じ。



うーむ、地味。

ちなみに、菖蒲はサトイモ科の植物で、シュッと細長い葉や根からはとてもいい香りの精油(エッセンシャルオイル)が抽出されます。この香りが邪気を払う、と古来いわれてきたのですね。

「こどもの日」のイメージとして見栄えもいいので花菖蒲が使われていることもよくありますが、菖蒲は菖蒲でも正しくは地味な花の方の菖蒲なので注意しましょう!

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