「端午の節句」ってどういう意味?
屋根よ〜り〜高い鯉のぼり〜♪ という童謡『こいのぼり』でもおなじみ、毎年5月5日は「こどもの日」です。3月3日の「ひな祭り」が女の子のお祭りなら、5月5日の「こどもの日」は男の子が主役。
ちなみに、「こどもの日」が国民の休日となったのは戦後の1948年(昭和23年)のこと。今では「こどもの日」という呼び名が一般的になっていますが、正式名称は「端午(たんご)の節句」といいます。
江戸時代にも「こどもの日」こと「端午の節句」は幕府により重要な日(式日)と決められていました。「端午の節句」のほか4つの節句があり、合わせて「五節句」といいます。
ここで、ちょっとウンチク。
「端午の節句」の「端」とは「はじめ」を意味し、「端午」とは「月のはじめの午(うま)の日」のことです。つまり、「端午」とは本来5月に限ったはなしじゃなかったんです。これがいつの頃からか、「午(ご)」と「五」の音が同じこと、奇数が重なるのはオメデタイということなどが合わさって5月5日=端午の節句となったんだとか。
なお、江戸時代にも端午の節句は5月5日に行われていたんですが、もちろん旧暦の5月5日。なので、現代の新暦カレンダーにすると5月下旬から6月上旬あたりになります。
2017年の場合だと、旧暦5月5日は新暦5月30日になります。江戸時代のこどもの日は初夏のイベントでした。
厄払いイベントから男の子のイベントへ
「端午の節句」というとイコール「男の子の成長を願うイベント」というイメージがありますが、もともとは男の子無関係の行事でした。
古代中国では「五月は1年で一番悪い月」と考えられていたそうで、特に念入りに厄払いが行われていたんだそう。そこで、その香りから邪気を払う神聖なパワーを持つという蓬(よもぎ)や菖蒲(しょうぶ)などを門に飾ったりしました。
この風習が奈良時代に日本にも伝来し、平安貴族たちも軒先に菖蒲や蓬をさげたり、冠に菖蒲の葉を飾ったり、「薬玉(くすだま」というマジカルアイテムを贈りあってそれを柱や簾(すだれ)にかけて邪気を払いました。
こちらが「薬玉」。沈香(じんこう)や丁子(ちょうじ、クローブとも)といった香料を布で包んで球状にし、蓬や菖蒲の葉、造花などで飾り、五色のひもを垂らしたものです。
かの清少納言も『枕草子』のなかで「節は五月にしく月はなし。菖蒲、蓬などのかをりあひたる、いみじうをかし(中略)中宮などには縫殿(ぬいどの)より御薬玉とて色々の糸を組み下げて参らせたれば、御帳(みちょう)立てたる母屋(もや)の柱に左右に付けたり」と書いています。超訳すると『節句といえば端午の節句がイチバンね。菖蒲や蓬の香りが混じり合って超いい感じ。中宮の御所には縫殿からカラフルな糸が下がった「薬玉」が献上されて、御帳台を立てた母屋の柱の左右にその薬玉をかけるの」という感じでしょうか。
晴れ渡る平安の青空のもと、カラフルな薬玉からいい香りが漂うようすが目に浮かぶようです。
また、端午の節句の頃は現代でいえば梅雨の時期にあたりさまざまな薬草がたくさん生えたので、平安貴族たちは野山にでかけ薬草つみを楽しんだりもしたそうな。現代ではすっかり消えてしまった端午の節句の風景ですね。
さて、雅やかな貴族の時代から、血気盛んな武士の時代へ変わると「端午の節句」のありかたは激変します。
厄払いアイテムとして使われていた菖蒲が「尚武(武を尊ぶという意)」「勝負」に通じる、そのシュッとした見た目が刀に似ているなどから、「端午の節句」が「尚武の節句」として武家で盛んに行われるようになったのです。さらにそこから、男の子の成長や出世を願う日へと変わっていきました。
ここでちょっと余談。
「端午の節句」で重要な菖蒲ですが、イメージはこんな植物なはず。
紫がかったブルーの花が美しい。たしかに「こどもの日」が近づくとよく見かけます。しかし!これは菖蒲ではなく花菖蒲(はなしょうぶ)というアヤメ科の植物。菖蒲は菖蒲でも菖蒲ちがいです。
一方、「端午の節句」で使われる菖蒲の花はこんな感じ。
うーむ、地味。
ちなみに、菖蒲はサトイモ科の植物で、シュッと細長い葉や根からはとてもいい香りの精油(エッセンシャルオイル)が抽出されます。この香りが邪気を払う、と古来いわれてきたのですね。
「こどもの日」のイメージとして見栄えもいいので花菖蒲が使われていることもよくありますが、菖蒲は菖蒲でも正しくは地味な花の方の菖蒲なので注意しましょう!
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