江戸時代の見世物小屋を徹底紹介

【画像あり】江戸時代の見世物小屋は謎の生物、巨大細工や曲芸など何でもありだった!

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「見世物小屋」をご存じでしょうか?現代ではアングラなイメージのある見世物ですが、江戸時代には老若男女が楽しむ娯楽の王様でした。謎の生き物から驚きの細工ものまで、江戸時代の見世物をまとめました。


江戸の見世物のメッカ、両国。大通りには見世物小屋が立ち並び、大勢の人々でにぎわった(『両国大曲馬の賑ひ』歌川国芳 画)

人気興行の動員数は数十万人!?江戸時代後期に爆発した見世物ブーム


日本の見世物の歴史は室町時代に始まるといわれ、江戸時代に発達し“庶民の娯楽”として大ブームを巻き起こしました。


江戸時代後期から戦後頃まで見世物は日本全国で見られ、全盛期には数百の見世物小屋があったのですが、現在、見世物興行を行うのは大寅興行ただ1社なんだとか。


新宿にある花園神社で行われる酉の市では、今でも見世物小屋が出ています。画像引用元:gathery
テレビやゲームなど娯楽の多様化、ライフスタイルの変化のほか、人権問題や動物愛護の観点からも興行が難しくなり数が激減していったようです。

ですが、そもそも娯楽が今よりずっと少なかった江戸時代、人々は娯楽に飢えていました。

そこで人気を集めたのが見世物でした。まず、入場料がリーズナブル江戸時代後期の文政期(1818~30年)で見ると、入場料(木戸銭)は32文(約640円)ほどだったとか。


見世物小屋の入り口。呼び込みの巧みな口上にお客が足を止める
同じく江戸時代の娯楽の代表格、歌舞伎のチケットが一番安くても100文(約2,000円)くらいだったことを考えても見世物は気軽に楽しめる娯楽でした。

現代において見世物小屋と聞くと、へび女や人間ポンプなどいかがわしくグロテスクなアングラというイメージがありますが、江戸時代の見世物小屋は、サーカスと動物園と美術館とお化け屋敷と大道芸をごった煮にしたような感じで、老若男女誰もが楽しめる場所だったようです。

ちなみに、江戸の見世物のメッカは浅草寺の裏手にある浅草奥山と、回向院の近くにある両国広小路。


今も観光地として大人気の浅草寺雷門。参詣したあと見世物を楽しむ人がたくさんいました(『江戸名所尽 金龍山浅草寺雷神門之図』渓斎英泉 画)
神社の参詣客を当て込んで見世物小屋が集まったそうですが、見世物が人気になると参拝のほうが「ついで」になったとか。

ほかの大都市でいえば、京では四条河原、大坂では道頓堀や難波新地、名古屋では大須などが見世物のメッカとしてにぎわいました。今も繁華街の場所ばかりですね。

近年の見世物興行はお祭りの時など数日間行われるだけですが、江戸時代の見世物興行は一般的に50~60日くらいは開催していたのだそう。さらに人気興行ともなれば延長興行も行われ、数十万人ものお客を動員することがあったといわれます。ライオンキングかな?

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