• 更新日:2017年8月18日
  • 公開日:2016年8月11日


見世物小屋の気になる内容は?


江戸時代の見世物小屋における演目は大きく分けて3つでした。

  • 曲芸・軽業…軽業、手品、曲芸、足技、曲馬 他
  • 細工見世物…人や動物の細工、からくり、人形 他
  • 動物見世物…珍獣、奇獣 他

それぞれを具体的に紹介します!

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その技術は世界トップレベル!海外進出するスターも出た「曲芸・軽業」


まずは軽業

アクロバティックな身体芸は常に大人気。なかでも幕末に登場した早竹虎吉は一世を風靡する大スターとなりました。

『大坂下り早竹虎吉 於西両国ニ興行仕候』(歌川国芳 画)
『大坂下り早竹虎吉 於西両国ニ興行仕候』(歌川国芳 画)
虎吉は人間離れした身体能力で軽業をこなした他、三味線などの楽器も得意。演出力にも優れ、庶民におなじみの物語を演目に取り入れたり、衣装や道具を本格的にするなど軽業をド派手なエンタメショーに仕上げ、観客のハートをわしづかみにしました。

当代きっての大スターとなった虎吉、江戸時代がまさに終わろうとする1867年(慶応3年)、一座を率いて渡米し、ニューヨークやサンフランシスコでの興行も果たしています

幕末の軽業師の技術は世界的に見てもトップレベルだったといわれ、虎吉以外にも多くの日本人軽業師・曲芸師たちが海外進出を果たしました。

余談ですが、日本で初めてパスポートを支給されたのも曲芸師なんだそう(諸説あり)。1866年(慶応2年)に幕府が発行した「御印章」がパスポート第一号といわれ、支給されたのは手品師で曲芸師の隅田川浪五郎。パスポートには名前・住所・年齢の他、身長や外見の特徴なども書かれていました。写真が普及していない時代なので、本人確認は「細面で鼻が高い」とかアバウトな外見特徴で判断したんでしょう。

浪五郎は「帝国日本芸人一座」という曲芸師や手品師などの選抜チームの一員として、アメリカやパリ、オランダなど世界各地を巡業し、絶賛されたんだとか。すごい。

帝国日本芸人一座の興行はフランスの新聞「ル・モンド」にも掲載された
帝国日本芸人一座の興行はフランスの新聞「ル・モンド」にも掲載されるほど大注目を集めました
さて、話を見世物の演目に戻して。


こちらも江戸時代の見世物の人気演目。

曲独楽(きょくごま)。

二代目・竹澤藤次(『龍宮玉取水中曲独楽 竹澤藤次』歌川国芳 画)
曲独楽をド派手なショーに仕立て人気を博した二代目・竹澤藤次。こちらの絵では水流に乗って独楽が回っています。どうなっているの!?(『龍宮玉取水中曲独楽 竹澤藤次』歌川国芳 画)
現代ではあまり見られないコマを使った曲芸。コマの刃渡りに糸渡り、扇子の上でコマを回す「地紙止め」に着物の袖の上を渡る「衣紋(えもん)流し」などなど、見た目にも美しいコマを使っての華麗な技の数々に人々の目は釘づけ。


また、馬上でさまざまな演じる曲芸も大人気。

曲馬です。

馬上で曲芸を演じる「曲馬」(『観物画譜』より 歌川国鶴 画)
こちらはひとりで5役を演じた曲馬。衣装を替えながら役に合わせた舞踊を演じたというからビックリ(『観物画譜』より 歌川国鶴 画)
華やかな衣装に身を包み、馬上で歌舞伎の舞踊やひとりで何役も演じる「早替り」を演じたんだそう。


そのほかユニークなところでは、

曲屁(きょくべ)。オナラ芸です。

オナラ芸・花咲男(『猿猴庵合纂』より)
名古屋興行でも曲屁を披露され話題になりました(『猿猴庵合纂』より)
曲屁における不動のスターは、霧降花咲男(きりふりはなさきおとこ)。のち曲屁福平と改名したそうです。独学でマスターしたというおなら芸は非常に巧みで、かの平賀源内もゾッコン惚れ込み『放屁論』という本まで書いてます。

江戸時代の見世物はまるでサーカスです。

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