該当する江戸時代の人物・偉人
亡くなった年齢でまとめることで意外な発見があります。
おがたけんざん
江戸時代前期に活躍した陶工、絵師。名は惟充。通称は権平、新三郎。号は深省、乾山、霊海、扶陸・逃禅、紫翠、尚古斎、陶隠、京兆逸民、華洛散人、習静堂など。一般に窯名として用いた「乾山」の名で知られる。京の呉服商「雁金屋」の三男として生まれた。同時代に画家、工芸家として名をはせた琳派の大成者・尾形光琳は実兄である。24歳の頃、父の遺言により屋敷や諸道具を兄と折半、乾山は仁和寺の南に「習静堂」を構え若くして隠棲すると、近くに住んでいた当代きっての陶芸家・野々村仁清から陶芸を学んだ。37歳の時、尾形兄弟の才能を高く買っていた関白・二条綱平から京の北西(乾の方角)、鳴滝泉谷の山荘を与えられここに窯を... (続きをみる)
- 尾形乾山の名言
- 『うきことも うれしき折も 過ぎぬれば ただあけくれの 夢ばかりなる』
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あしとうざん
江戸時代中期の儒学者。陸奥国東磐井郡(現・岩手県一関市大東町渋民)の農家に生まれ、幼い頃から秀才ぶりを知られ、15歳で農民の出ながら仙台藩の儒学者となると、19歳の時には藩主に御前講義を行った。藩命により京に遊学し名だたる学者から学び、江戸では幕府の儒者・室鳩巣に師事した。その後も仙台藩の藩儒を務めたが、学問所の座列を巡る争いに巻き込まれ24年間の蟄居生活に追い込まれる。しかしこの間に、日本における刑法思想の根本原理と理想を説いた『無刑録』十八巻を書き上げた。東山はこの書のなかで、当時の刑罰のあり方へ疑問を投げかけ、刑罰を必要としない社会にするためには刑罰を強化するより教育刑(教化善導)... (続きをみる)
よこいやゆう
江戸時代中期の武士、国学者、俳人。幼名は辰之丞、通称は孫右衛門、本名は時般(ときつら)、号はほかに永言斎、知雨亭など。代々尾張藩士である横井家の子として名古屋に生まれ、家督を継ぐと尾張藩の要職を歴任した。文武に優れ、若い頃から俳人としても知られたという。53歳で病を理由に隠居すると、名古屋郊外の前津(現・名古屋市中区前津)の草庵「知雨亭」にて俳句や漢詩、和歌、狂歌、茶道など風雅の世界に没頭した。也有は生前、著作をほとんど残さなかったが、也有の名を世に広めた俳文集に『鶉衣(うずらごろも)』がある。これは江戸時代後期を代表する文人・大田南畝が、たまたま也有の文章を目にした南畝があまりにおもし... (続きをみる)
- 横井也有の名言
- 『化物の 正体見たり 枯をばな』
まえのりょうたく
江戸時代中期から後期の蘭学者、豊前国中津藩(現・大分県中津市)の藩医。杉田玄白とともに『解体新書』を翻訳したことで知られる。「良沢」は通称で、名は熹(よみす)、字は子悦、号は楽山のち蘭化。号の「蘭化」は中津藩主・奥平昌鹿(まさか)が良沢のオランダ語研究の熱心さを賞賛して「蘭学の化け物」と称したことにちなむ。福岡藩士・谷口新介の子として生まれたが、幼くして両親と死別、母方の大叔父で淀藩医の宮田全沢(ぜんたく)に養育された。宮田は幼い良沢に医師としての基本を教え、「廃れてしまいそうなものを後世に残すように心がけなさい」と説いたという。その後、良沢は中津藩医・前野家の養子となり中津藩医となった... (続きをみる)
おくのしょうげん
江戸時代前期の武士、播磨国赤穂藩浅野家の重臣。将監は通称で、名は定良(さだよし)。赤穂浪士四十七士のひとり大石瀬左衛門とは従兄弟の間柄。主君・浅野内匠頭長矩が刃傷事件を起こし切腹、お家断絶となると、逐電した家老・大野九郎兵衛のかわりに筆頭家老・大石内蔵助を補佐し赤穂城明け渡しを行った。はじめから義盟に加わり参謀格として活動していたが、浅野家再興が絶望的になり吉良上野介への仇討ちが決定した円山会議の直後に脱盟した。その理由については、大石が討ち入りに失敗した際の備えになったとも、浅野内匠頭長矩の隠し子を育てるためともいわれるが真相は不明。その後、将監は播磨国に戻ると名を変え、新田開発などに... (続きをみる)
せんのそうたん
江戸時代前期の茶人で、千家第3世。字は元伯、別号に咄々斎(とつとつさい)、咄斎がある。千利休の孫にあたり、父は利休の後妻(千宗恩)の連れ子である千少庵、母は利休の娘・お亀。祖父・利休の希望により幼くして大徳寺に入り禅を学んだ。のち、千家が再興すると還俗し、利休の「わび茶」普及に努めた。父・少庵が隠居すると家督を継いだが、祖父・利休の末路から政治との関わりを避け、生涯仕官せず茶の道に専念した。宗旦の茶風は「わび茶」をさらに徹底させ清貧を極めたことから「乞食宗旦」の異名をとったという。次男・一翁宗守は「武者小路千家」を、三男・江岑宗左は「表千家」を、四男・仙叟宗室は「裏千家」を興し、これらは... (続きをみる)
おでんのかた
徳川幕府5代将軍・徳川綱吉の側室。落飾後は瑞春院を名乗る。下級武士の娘だが、綱吉の生母・桂昌院の侍女となり綱吉に見初められ側室となった。綱吉の寵愛深く、長女・鶴姫、長男・徳松を生んだ。綱吉の子を生んだのはお伝の方だけだったため、大奥で絶大な権力を持つようになった。公家出身の綱吉の正室・鷹司信子とは非常に不仲で対立関係にあったといわれるが確証はない。しかし、徳松はわずか5歳で早世し、紀州藩主・徳川綱教に嫁いだ鶴姫も27歳の若さで病死してしまった。夫である綱吉の死後は落飾し、江戸城二の丸にて余生を過ごした。墓所は東京都港区芝にある徳川家菩提寺・増上寺。ドラマなどのフィクションでは悪女として描... (続きをみる)
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