該当する江戸時代の人物・偉人
亡くなった年齢でまとめることで意外な発見があります。
とくがわひでただ
徳川幕府の2代将軍。幼名は竹千代。別名は江戸中納言、江戸右大将。徳川家康の三男として遠江国浜松にて誕生。母は側室の西郷局。秀忠は三男であったが、長兄・信康が織田信長の命により切腹、次兄・秀康が豊臣秀吉の養子となった(のち結城氏)ので世子となった。1600年の関ヶ原の戦いでは、東海道を進軍する家康本隊に対し、初陣ながら中山道を進軍する別働隊の役割を与えられ信濃国上田城攻めを行うも、真田昌幸に大敗を喫し、関ヶ原本戦に間に合わないという大失態を犯し、家康の怒りを買った。1603年に江戸に幕府が開かれると、その2年後、秀忠は2代将軍に就任した。大御所・家康の没後は将軍親政を敷き、大名統制を強化す... (続きをみる)
ひらがげんない
江戸時代中期に活躍した本草学者、地質学者、蘭学者、医者、殖産事業家、戯作者、浄瑠璃作者、俳人、蘭画家、発明家。よく知られる「源内」は通称で、「元内」とも書いた。戯作者としての筆名は「風来山人(ふうらいさんじん)」、浄瑠璃作者としては「福内鬼外(ふくうちきがい)」を、また事業家としては「天竺浪人(てんじくろうにん)」などを名乗った。讃岐国寒川郡にある讃岐高松藩の足軽身分の家に生まれる。幼い頃から才気煥発で、子どもの時に掛け軸に細工をし天神さまの顔が赤くなる「お神酒天神」を作ったのは有名。最初は藩医のもとで本草学、儒学を学び、その後、長崎へ遊学しオランダ語や医学、油絵などを学び、さらに大坂、... (続きをみる)
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ならやもざえもん
江戸時代中期に江戸で活躍した豪商。通称は「奈良茂(ならも)」。本名は神田勝豊。幼名は茂松、号は安休。生年は諸説ある。「紀文」こと紀伊國屋文左衛門のライバルとして知られ、吉原などで紀文に対抗するように放蕩の限りを尽くしたという。奈良茂は材木問屋に奉公後、独立、材木商として明暦の大火(1657)や日光東照宮の改築、五代将軍・綱吉の寺社造営など建築ラッシュの波に乗り、御用商人となると一代で財を成した。後年は材木商を廃業し、地代収入を得て余生を過ごしたという。 (続きをみる)
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くしろうんぜん
江戸時代後期の南画家。名は就(じゅ)、字は仲孚(ちゅうふ)、通称は文平、号はほかに魯堂、六石(りくせき)、磊落居士など。一般に知られる号の「雲泉」は雲仙岳にちなんだもの。肥前国島原野田名(現・長崎県島原市千々石町)にて島原藩士の子として生まれる。幼い頃から絵を好み、いつも絵を描いていたという。その後、父に同行し長崎に遊学し、清国人から中国語と南画を学んだ。父の死後は諸国を遍歴する生活をはじめ、その後、江戸で居を構えた。やがて再び旅に出て、備中や備前、京坂、信越を遊歴、晩年は越後国に転居し同国出雲崎で急死した。旅に生きた雲泉は、頼山陽、浦上玉堂、谷文晁、木村蒹葭堂といった当時の文人や画家と... (続きをみる)
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くつきまさつな
江戸時代中期から後期の大名、丹波国福知山藩の8代藩主。世界地理研究家、貨幣研究家、古銭コレクターとしても知られる。幼名は斧次郎、通称は左門、法号は竜橋。福知山藩6代藩主・朽木綱貞の長男として江戸で生まれ、7代藩主・舖綱(のぶつな)の養子となった。少年の頃から古銭収集を趣味とし、和漢のみならずヨーロッパ諸国の貨幣も収集した。また、蘭学に興味を持ち、蘭学者・前野良沢の門に入り、世界地理の研究にも没頭した。著作も多く、当時のヨーロッパ貨幣を図入りで紹介した『西洋銭譜』をはじめ、西洋地誌概説書『泰西輿地図説』や古銭目録『新撰銭譜撰』など。茶道や画にも通じ、文人大名として名を馳せた。ちなみに、昌綱... (続きをみる)
いけのたいが
江戸時代中期の文人画家、書家。与謝蕪村とともに「日本の文人画の大成者」といわれる。妻の玉蘭(ぎょくらん)も画家として知られる。本来の姓は「池野」だが中国風に「池」と名乗った。幼名は又次郎、諱は勤、無名(ありな)、字は公敏、貨成、通称は池野秋平、号はほかに大雅堂、三岳道者など多数。京の銀座役人の下役の子として生まれた。生まれについては捨て子であったとも、御落胤であったともいわれ諸説ある。幼い頃から書を学び、7歳の時、萬福寺で披露した書に僧たちが驚嘆し、「神童」と絶賛されたという逸話がある。絵は文人画の先達・柳沢淇園に学び、大画面の屏風絵から小品まで、さまざまな作風で生涯に1000点を超える... (続きをみる)
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なかてんゆう
江戸時代後期の蘭方医、蘭学者。名は環(たまき)、耕助、融(とおる)、字は環中、号はほかに思々斎(ししさい)。儒医・上田河陽の子として生まれ、中家の養子となった。22歳の時に江戸に出ると大槻玄沢の私塾「芝蘭堂」に入門、のち「芝蘭堂の四天王」のひとり稲村三伯に師事し蘭学や医学を学んだ。師・三伯の死後は町医者として活動していたが、蘭学熱が収まらず、大坂へ行き「芝蘭堂の四天王」のひとり橋本宗吉の私塾「絲漢堂(しかんどう)」で学び、自らも蘭学塾「思々斎塾」を開き大坂蘭学の普及・発展に寄与した。弟子には緒方洪庵らがおり、やがて大坂は蘭学の中心地へと成長する。墓所は大阪市北区にある龍海寺で、弟子の緒方... (続きをみる)
おがたこうあん
江戸時代後期の蘭学者、医者、武士。大坂で蘭学塾「適々斎塾(てきてきさいじゅく)」(通称:適塾)を開き、福澤諭吉など幕末から明治にかけて活躍した人材を数多く輩出した。適塾は現在の大阪大学医学部の前身とされる。諱は惟章(これあき)または章(あきら)、字は公裁、号はほかに適々斎、華陰。備中国足守藩(現・岡山県岡山市北区足守)の下級藩士・緒方瀬左衛門の子として足守に生まれ、のち父の転勤にともない大坂へ移住、生来、病弱だったことから医学の道をめざすようになり、蘭方医・中天游の私塾「思々斎塾」に入り医学と蘭学を学んだ。その後、江戸へ出ると蘭方医・坪井信道(しんどう)や宇田川玄真らからも指導を受けた。... (続きをみる)
はらだかい
江戸時代前期の武士、仙台藩の家老。江戸時代における「三大御家騒動」のひとつ「伊達騒動」の中心人物のひとりとして知られる。「甲斐」は通称で、名は宗輔(むねすけ)、幼名は弁之輔、初名は雅楽。父は仙台藩重臣・原田宗資(むねすけ)、母は豊臣秀吉の側室だった香の前の娘。甲斐は陸奥国柴田郡船岡城にて生まれ、父の死により5歳で家督を継いだ。仙台藩の家老となると、わずか2歳の4代藩主・綱村の後見役を務める伊達宗勝(通称:兵部)や田村宗良と藩政を牛耳るようになる。これに反発した保守派の伊達安芸(宗重)は、宗勝ら後見人による専横政治を批判し幕府に訴えた。甲斐ら関係者は幕府の評定を受けるため、幕府大老・酒井忠... (続きをみる)
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