江戸時代の下着と、生理の処理方法を紹介

下着を着けなかった江戸時代の女性。生理になったときの驚きの処理方法とは

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パンツがなかった江戸時代。数百年前の下着事情を振り返るともに、女性が生理になったときの処理方法もご紹介します。

パンツを着用しない時代、女性の下着はどんなもの?



1963年(昭和38年)
昭和の女性が、洋装で銀ブラ。和装から洋装への大転換は日本文化にとって大事件でした。

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さて江戸時代、男性の下着は安定のふんどしですね。女性たちは下着としてどのようなものを使用していたかといいますと、それがこれ。


(『水鶏にだまされて』石川豊信 画)
「湯文字(ゆもじ)」と呼ばれる四角い布です。今でいう「腰巻(こしまき)」。ヒモがついており、巻きスカートのように腰に巻きつけて使用しました。

長さは膝より少し下くらいまで。うっかり裾がペラリと開くと陰部が見えてしまうので、そんなことがないよう下着の4ヵ所にはおもりが入っていたとか。

素材は木綿で、色は白もしくは緋色。年配女性は浅黄(あさぎ)色が多かったそうです。

さらに、湯文字の上に「蹴出(けだし)」というものを着用しました。「裾よけ」ともいいます。これは今でいう「ペチコート」で、歩く際に湯文字がチラ見えするのを防いだり、着物の裾さばきをよくするために使用されました。

長さは湯文字より長く、足首までありました。湯文字と異なり蹴出は「見せ下着」、むしろ見られることを意識した下着のため華やかな柄の布が使われ、女性の足元をより色っぽく見せるのに一役買っていました。


(『浮世名異女図会(うきよめいしょずえ)』「江戸町芸者」歌川国貞 画)
美しい芸者の足元を見ると緋色の蹴出がチラ見え。足の白さと赤い下着の組み合わせの色っぽさ。

ちなみに農村部などでは湯文字を使用することもなく完全に「ノー下着」だったそうです。ですので、作業中に「よっこいしょ」と腰をかがめたりすると陰部が丸見えになる、というのは、農村によくあるのどかな風景でした。

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