• 更新日:2019年10月6日
  • 公開日:2019年3月18日


春画っていつからあるの?春画の歴史をざっくり紹介


現代人になじみのある有名春画はほとんどが江戸時代のもののため、春画というと江戸時代に誕生した浮世絵作品、というイメージがあるんじゃないでしょうか。

じつは春画の歴史はかなり古く、平安時代にまでさかのぼることができると考えられています。当時は「偃息図(おそくず、えんそくず)」と呼ばれていたそう。日本における春画のルーツは中国から医学書と一緒に輸入された性行為の解説図といわれています。

春画というと浮世絵版画のものが有名ですが、肉筆画の春画もあり、印刷技術が民間に浸透する江戸時代初期までは肉筆の春画ばかりでした。

『稚児之草紙絵巻』より
鎌倉時代に描かれた『稚児之草紙』より。少年の肛門になにか突っ込んでいるところ。
肉筆の春画は紙や絹に描かれた1点もののため、価格も高く、目にすることができるのは貴族や武士、富裕な商人など一部のセレブに限られていました。

時代は下り、江戸時代前期、上方を中心に木版印刷の技術が向上し、出版文化が民間レベルで発達・浸透するようになると版画春画が登場します。これにより大量生産が可能になり、春画を庶民も楽しむことができるようになりました。

初期の版画春画を代表する絵師といえば、『見返り美人』で有名な菱川師宣(ひしかわもろのぶ)。「浮世絵の祖」ともいわれる人物です。

見返り美人図(菱川師宣 画)
切手にもなった菱川師宣の代表作『見返り美人図』。これは肉筆画。
そんな菱川師宣の春画は、太い線のタッチもありどこかほのぼのとした雰囲気を漂わせています。

ほのぼのとした春画(『恋の極み』菱川師宣 画)
『恋の極み』より。シンプルタッチで卑猥さを全然感じさせない。
後述しますが、江戸時代の春画は菱川師宣をはじめ超有名絵師たちのほとんどが手がけていました

地下出版物だった春画


江戸時代初期、春画や艶本は公然と出版され店頭で販売されていました。浮世絵作品には絵師の名前のほか、版元名、彫師名、摺師名などが明記されているのですが、春画にもそうした情報が堂々とのっていました。

『白井権八』(三代歌川豊国 画)
江戸時代後期の役者絵。画像左端に絵師名、彫師名、版元名が見える。さらに幕府の検閲を通過した証拠である「改印(極印)」も見える。幕府公認の出版物にはこうした情報が明記されていた(『白井権八』三代歌川豊国 画)

しかし、八代将軍・徳川吉宗公の時代、春画の立場は大きく変わります。

1722年(享保7年)、教科書でもおなじみ「享保の改革」の一環として、「風俗のためにもよろしくない!」という理由から艶本などの好色本が取り締まり対象になってしまったのです。これによりそれまで店頭で販売されていた春画や艶本は、発見されるや摘発され絶版の憂き目にあったのです。しかしーー

幕府が禁じても見たいものは見たい。

出版統制が行われて以降も春画や艶本を求める声は大きく、作り手も一計を講じます。

そして至った結論は「幕府にバレなきゃいいじゃない」。

つまり、絵師名や版元名などの情報を隠すことで幕府の目から逃れ、地下出版物として春画や艶本を流通させたのです。

地下出版物なわけですから公然と店頭で販売するわけにはいきません。そこで活躍したのが貸本屋と呼ばれたレンタル本屋です。

江戸時代の貸本屋(『倡客竅学問(しょうかくあながくもん)』十返舎一九 著)
画像右、本を手にしている男性が貸本屋。男性の隣にあるのがレンタルする本。これを背負って歩くのですからすごい肉体労働。得意客の遊女が熱心に本を選んでいる(『倡客竅学問(しょうかくあながくもん)』十返舎一九 著)
貸本屋はさまざまな本を背中に背負って得意先を一軒一軒歩いて回り、お客に本を貸し出しました。レンタル料金(見料)は日数や本によって決まっており、たとえば菊川英山の『絵合錦街抄(えあわせきんがいしょう)』という12枚ものの春画のレンタル料金は「1日100文」だったそう。1文を20円と考えたとすると「1日2,000円」!

買うんじゃなくてレンタルですからこれはかなり高額です。ちなみに店頭で販売されていた浮世絵1枚の値段は、20〜24文=約400〜480円くらいとワンコインプライス(時代やサイズによって値段は異なる)。春画というのは高価なのです。

こうした貸本屋の活躍により、春画や艶本は人々の手に渡り楽しまれましたが、老中・松平定信による「寛政の改革」(1787~93)や老中・水野忠邦による「天保の改革」(1830~43)など大きな幕府改革が実行されるたびに大規模な出版統制が行われ、地下に潜っていたとはいえ春画や艶本も厳しく取り締まられました。

超一流絵師が手がけていた春画


幕府に出版を禁じられた地下出版物である春画や艶本ですが、表舞台で活躍する超一流絵師たちも多くの春画を描きました。「名の知られた絵師で春画を手がけていないのは写楽だけ」なんて言われるほどです。が、写楽はそもそも謎だらけなのでじつは春画を描いていたかもしれません。現代でいえば『週刊少年ジャンプ』の看板漫画家がアングラエロ漫画を描くようなものでしょうか。

春画は地下出版物のため絵師の名を記すことはできませんでしたが、反骨精神か自己顕示欲か、絵師たちは「隠号(いんごう)」つまり別名義を使い春画を描き、それとなく絵のなかで作者が誰なのかを見るものに伝えました。

たとえば「幕末の奇想の絵師」「大の猫好き絵師」として有名な歌川国芳。国芳も多くの春画を手がけているのですが、春画用ペンネームは「一妙斎(開)程よし」「一妙開保登由(ほとよし)」など。表での画号「一勇斎国芳」を巧妙にもじっているところにユーモアを感じます。

歌川国芳の艶本『枕辺深閨梅』(ちんぺんしんけいばい)

これは国芳による艶本『枕辺深閨梅』(1838年)のなかの1枚。男の目つきの色っぽさが強烈です。

さて、左上にご注目。拡大してみるとーー

歌川国芳の隠号「一妙開程よし」

国芳の隠号「一妙開程よし」の文字が見えます。

猫大好きな国芳は春画のなかにもたびたび猫を登場させていますし、「一妙開猫よし」なんて隠号も使っています。もはや正体を隠す気ゼロです。読者ももちろん心得ていて「ああ、これは国芳の作品だな」とわかっていました。

国芳以外の絵師のエロ方面用ペンネームをちょっとまとめてご紹介します。

  • 葛飾北斎 隠号=「鉄棒ぬらぬら」「紫色雁高(ししきがんこう)」
  • 勝川春章(北斎の師匠) 隠号=「腎澤山人(じんたくさんじん)」
  • 歌川国貞 隠号=「不器用亦平(ぶきよまたべえ)」「婦喜用又平」
  • 柳川重信 隠号=「艶川好信(つやかわすきのぶ)」
  • 渓斎英泉 隠号=「淫乱斎」

みんな卑猥なワードを巧みに組み込みつつシャレているのがさすがですね。北斎や国芳ら市井で活躍した絵師だけでなく、狩野派や土佐派といった由緒正しき奥絵師たちも依頼主の求めに応じ春画を手がけていました。

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