加賀百万石は往復8億円以上!?とてつもなく費用がかかった参勤交代


大人数で長距離を移動する参勤交代はとにかくお金がかかりました。

幕末の1859年(安政6年)に行われた鳥取藩(32.5万石)の場合~
  • 鳥取~江戸までの距離:約700kmちょっと
  • かかった日数:21泊22日
  • 1日平均進行距離:約32km
  • 片道経費:1957両(1両=8万円で換算して約1億5700万円)

1日の平均費用は700万円以上、往復にするとなんと3億円以上もの費用がかかったようです。

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32万石の鳥取藩の場合ですらこれほど莫大な費用がかかった参勤交代、”加賀百万石”を謳われる100万石の加賀藩の場合は、片道(13日)で5,400両(約4億3,200万円)、往復にしたら8億円以上もの費用がかかりました。

1日の費用だけでも数千万円です。これが1年おきにかかるんですからそりゃ藩財政も疲弊します。

一番お金がかかったのははやはり人件費。鳥取藩の場合、全費用の約40%以上が人件費だったようです。

ちなみに、大名行列の人数は幕府によって石高ごとにある程度決められていました。加賀藩の大名行列の場合、参加人数は2,000人近くもいたとかで、これはもはや民族大移動。

お供のなかには、武士だけでなく医者、料理人、鷹匠、茶人、藩主用の風呂桶を運ぶ人などさまざまな人がいました。

津山藩松平家の大名行列(『拾万石御加増後初御入国御供立之図』の一部)
津山藩松平家の大名行列。藩主をはじめ武士、足軽ら総勢812人もの人々が描かれています(全長13mもある『拾万石御加増後初御入国御供立之図』の一部)
さて、どの大名にとっても参勤交代にかかる費用削減は悩みの種でした。

幕府も大名たちが参勤交代の費用で財政が窮しているのをみかね、「もっと人を減らすように」と大名たちに命令したりもするのですが、大名側からしたら、貧弱な行列をほかの大名や通行人、自国の領民に見られるのは耐えがたい。なかなか人数を減らせませんでした。

お金はないけど人数は減らしたくない――そんなジレンマを解消するためいろいろなアイデアを駆使しました。

例えばお見送り要員

お見送り要員は、国元から江戸へ向かう参勤のときに国境の辺りまで大名行列に加わった藩士たちで、彼らは領民に見えないところまで行くと大名行列から抜け国元に戻りました。見栄ですね。

また、江戸に入るときも江戸屋敷の家臣たちが「出迎え要員」として大名行列に加わり、行列を華やかにしたんだとか。

さらに、大名行列のなかには”アルバイト家臣”もいました。あまりお金のない大名家では、飛脚問屋などから人を雇って「水増し要員」にしていたのです。映画『超高速!参勤交代』でもそんなシーンがありますが、あれは本当だったんです。

橋を渡る大名行列(『東海道五十三次之内岡崎矢矧橋』歌川広重 画)
橋を渡る大名行列。このなかにもアルバイト家臣がいるかも(『東海道五十三次之内岡崎矢矧橋』歌川広重 画)
江戸に入るときなど重要な見せ場以外では、大名行列の人数は半分くらいに激減したともいわれています。しかも早足。ずいぶんイメージと違います。

人件費以外にもいろいろとお金がかかることがありました。

たとえば、川を渡ろうにも橋がない場所もあったので、その場合は人足(にんそく)に頼んで川を渡りました。

『東海道金谷ノ不二』(葛飾北斎 画)
『東海道金谷ノ不二』(葛飾北斎 画)
こちらは「越すに越されぬ大井川」といわれた東海道の難所・大井川。

駿府城の外堀としての役目を果たしていたので、橋を架けるのも渡し船も禁止されていました。なので、川を渡るとなれば人足に運んでもらうしか手段はない。

ということで、上の絵のように肩車や輿(こし)で川を渡ったのです。この川を渡るための費用だけでもバカにならない。

また、宿泊費も人数が人数なだけに莫大な費用がかかりました。ちなみに、大名が宿泊するのは本陣(ほんじん)と呼ばれる宿泊所。ここは一般人の宿泊は不可でした。

草津宿の本陣。現存する最大級の本陣
東海道と中山道の合流点にあった草津宿の本陣。現存する最大級の本陣なんだとか。画像引用元:草津市観光物産協会
家老ら重役は脇本陣、そのほかの家臣たちは宿場の旅籠(はたご)や近隣の農家などに宿泊しましたが、当然お金は払わなければなりませんでした。

天候不良などトラブルにより宿泊をドタキャンしなければならないこともあったわけで、宿泊費用を巡って大名家と宿泊施設側でトラブルも結構あったらしいです。

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