泰平の世となり人々がグルメを楽しむようになった江戸時代、ひとなめであらゆるものの産地をたちどころに当てる“神の舌”を持つ美食家がいました。
3人目
“神の舌”を持つ本物のグルマン
茶人&美食家・北村幽庵
(きたむら ゆうあん)
1648年、北村幽庵(祐庵とも)は近江国滋賀郡(現・滋賀県大津市)の由緒ある豪農の家に生まれました。まあ、おぼっちゃまです。
幽庵は千利休の直系弟子から茶道を学び、作庭や骨董などでも存在感を発揮しましたが、特に知られているのが美食家としての顔。“神の舌”ともいえる常人離れした逸話を残しています。
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たとえば、水の話。幽庵は茶の湯で使用する水は琵琶湖の水と決めていただけでなく、日によって琵琶湖の水を汲む場所まで細かく指定して使用人に汲みに行かせていたんだとか。使用人にしてみたらこれは面倒。横着した使用人が、ある日、言いつけを守らずに水を汲んできたことがありました。すると幽庵、水をひとなめして「これは指定した場所の水ではありませんね」とすぐさま見破り、使用人を驚愕させたそう。
ほかにも。店で豆腐田楽を食べた北村幽庵がポツリ。「ご主人、この田楽に使っている竹串は遠くからやってきたものなのでしょうな」。店の主人は「何を言ってるんだ、このひとは」と思いつつも、厨房に確認してみると、遠く難波(現・大坂)から運んできた竹かごの竹から削り出した串ということで、店の主人は驚愕。豆腐田楽食べて豆腐どころか竹串について語る幽庵先生にまじ戦慄します。
果てには、石をペロリとひとなめすれば産地を当てたというから、もはやグルメなのか犯罪捜査なのか線引きすら曖昧になるレベル。
こんなエピソードも。ある店で、刻んだ菜っ葉が入ったお吸い物を食した幽庵、店の主人を呼ぶと「この菜は男性が刻んだものですな。菜は男性より女性が刻むほうが力加減がちょうどよいですよ」とアドバイスすることもあったとか。
茶人だった北村幽庵は、客をもてなす場合に素材から道具まで究極までこだわったそうです。おそらく、そのおもてなしの心が“神の舌”を研ぎ澄ませたのでしょう。
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