• 更新日:2017年8月27日
  • 公開日:2016年3月17日


離縁状「三行半」は再婚許可書!?


さて、さきほどから何度も登場している三行半。江戸時代の離婚で欠かせない重要アイテムです。正式には「離別状(りべつじょう)」「去状(さりじょう)」「暇状(いとまじょう)」と呼ばれるものですが、画像のように三行半で内容が書かれていることが多かったので、「三行半」が通称となりました。

江戸時代、三行半と呼ばれた離別状
画像引用元:あきる野市
江戸時代は文字を書けない人もいたので、そのような場合は3行+半行の線を書くことで離縁状の代わりにしたといいます。

では、どんなことが書かれているのか原文と意訳を紹介します。

<解読文>
離別状之事
一 其方儀以媒ヲ我等女房ニ貰受候処此度
不叶存意候ニ付暇差遣シ申候然ル上者何方へ
縁附候共我等方ニおゐて一切申分無御座候
為念一札差出申処如件
嘉永六丑年  名倉村
正月   所左衛門
稲伊奈村  なミ殿

<意訳>
離別状のこと
一 なみさんを女房にしたんですが、このたび私の思った通りにいかないことがいろいろあって離婚することにしました。なので、なみさんが今後どこの誰と再婚しても異論はありません。念のためこの証文を出します。
嘉永6年 名倉村の所左衛門
稲奈村のなみ殿へ

なんだかフワっとした内容ですが、その理由はまたのちほど。

スポンサーリンク


さて、この三行半には重要なポイントが2つあります。

まず、ひとつめのポイント、それは…



離婚は明言すれど、離婚理由はあいまいにする

三行半は離縁状であり今でいう離婚届なわけですから、当然、「離婚」を明言しなければなりませんでした。さきほどの画像でいえば「暇差遣シ申候(いとまさしつかわしもうしそうろう)」が「離婚します」という部分です。決まったフレーズはありませんが、「離縁致し候(りえんいたしそうろう)」など離婚を明確にするフレーズは必須でした。

三行半には離婚理由も書かれているのですが、注目すべきは三行半の多くで離婚理由があいまいにされていること。さきほどの画像でも「不叶存意候ニ付(ぞんいかなわずそうろうにつき)」が離婚理由にあたる部分ですが、「思い通りにならないことがいろいろにあり」というような意味で理由としてはあいまいでよくわかりません。

ある研究によれば三行半に書かれた離婚理由のナンバー1とナンバー2がこちら。

1位「理由なし」
2位「我等勝手ニ付」つまり「私の勝手により」

「なんてことだ!江戸時代の男性はたいした理由もなく自分の勝手で離婚を妻に言い渡すのか!」とご立腹するのはちょっとお待ちください。これには深い訳があります。

それは…



理由を明確にしないことで、妻の再婚をしやすくする


たとえば、妻がものすごい浪費家で家事や育児もおろそか、我慢の限界により離婚することになったとします。三行半にも「妻が浪費家で家事も育児もおろそかだから離婚します」と具体的な離婚理由を書く。

これでは誰がどう見てもこの女性は“ハズレ”だと思います。この女性と再婚しようなんて人物はまず現れない。

そうなると離婚された女性は実家に「出戻り」として厄介になるか、自力で生きていくしかありませんでした。

離婚理由を具体的に書くことで、元妻の今後の人生の選択肢が狭くなってしまうことになりかねなかったわけです。あえて理由をあいまいにすることで再婚しやすくしたともいえます。これは夫側にも同じことがいえます。

あいまい理由の裏には、双方のダメージを最小限にする意図があったんでは、といわれています。現代でも退職願に「上司のパワハラに耐えかね」などと書かず「一身上の都合により」と書いたりしますが、それに通じるものがあります。

『教訓親の目鑑』「酩酊」(喜多川歌麿 画)
妻が大酒飲みでそれが離婚につながったとしてもそこはあいまいに。でも再婚相手としては欠点も教えてほしいかも(『教訓親の目鑑』「酩酊」喜多川歌麿 画)

続いて、三行半の重要ポイントその2。それは…


再婚の許可証でもあること

再びさきほどの画像にご注目。三行半の後半に「何方へ縁附候共我等方ニおいて一切申分無御座候」とあります。「どこの誰と再婚しようと私に一切異論はありません」という意味です。この「誰と再婚してもいいよ」というフレーズも三行半には必須でした。

江戸時代、家を切り回すうえで女性の役割は大きく、女性の再婚は珍しくないどころか、三行半は再婚を前提にしていたわけです。

実際、武家の場合、離婚率は10~11%、離婚後の再婚率はなんと50~59%にもなったといいます。“二夫にまみえる”ことなんて結構フツーだったようです。

想像以上に離婚・再婚のハードルは低かったみたいですね。一方、男性側も家事を女性に頼っていたのは今と同じ、やもめ暮らしはなにかと不便で再婚を望むことが多かったとか。

『針仕事』(喜多川歌麿 画)
針仕事は女性の重要な仕事。男性に比べ女性の人口が少なかった江戸では、女性の再婚も引く手あまただったんじゃないでしょうか(『針仕事』喜多川歌麿 画)

離婚した場合の子どもの引き取り先については、夫が子どもを引き取ることも多かったとか。これも再婚が珍しくなかったことに関係があるかもしれませんね。

ちなみに、夫から離婚を切り出した場合、妻は結婚の際に持ってきた持参金を全額返してもらえたそう。もし、夫が妻の持参金に手をつけようものならそれだけで正当な離婚理由になったそうです。こう見ると、江戸時代の女性の立場もなかなか強かったんじゃないかと思われますね。

江戸ブログ 関連記事

江戸ブログ 最新記事

あわせて読みたい 戦国・幕末記事