• 更新日:2017年8月18日
  • 公開日:2016年2月13日




江戸から明治に時代が変わりゆく頃、伊予国松山には、酔えば酔うほどすばらしい書を生んだ伝説の書道家がいました。

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酒を飲まぬと、筆を執ること難し

天衣無縫の書家 三輪田米山


三輪田米山の写真
激動の時代に独自の書を追及した米山。とても真面目な性格だったらしい
三輪田米山(みわだべいざん)は現在の愛媛県松山市にある日尾八幡神社の神官の子として生まれ、自身も神官となりました。神官の仕事を終えると米山は、2升3升とまさに浴びるように酒を飲みました。

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酩酊状態の米山がおもむろに手にとったのは…筆。倒れる寸前、意識ももうろうとするなか米山は勢いに任せ一気に書き上げます。

「うまく書いてやろう」という雑念も頭から消え、誤字があろうと脱字があろうとそんな瑣末なことは気にしない。

ただただ無心に書く。

そうして生まれた米山の書は、奔放自在で天衣無縫、唯一無二の輝きを放ち見る者を圧倒しました。

三輪田米山の代表作のひとつ「無為」。近代書の先駆けとも評される自由な書
米山の代表作のひとつ「無為」。近代書の先駆けとも評される自由な書
酒を浴びるほど飲んでは無心で書くを繰り返し、3万点ともいわれる書を残し、この世を去りました

中央書壇に属さなかった米山は長らくマイナーな存在でした。昭和になり、実業家で美術収集家の山本発次郎が米山を「わが国近世500年間を探してもまれに見る大書家」と激賞したことで、米山の名は近年知られるようになりました。

三輪田米山が神官を務めた日尾八幡神社の鳥居の前
米山が神官を務めた日尾八幡神社の鳥居の前には、米山の書「鳥舞」「魚躍」が刻まれた注連石があります

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剣の使い手にしてオシャレな遊び人、刀剣ブローカーをしたかと思えば祈祷師になったり露天商の親分をしてみたり……。

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喧嘩っ早く情にあつい自由人

最強の不良旗本 勝小吉


勝小吉(かつこきち)の少年時代はとにかくいたずら好きで喧嘩ばかりしていたそうです。14歳で家出すると、乞食をしながら伊勢参りしましたが、睾丸にケガをしてやむなく帰宅

江戸に帰った小吉は就職活動しますが、自分の名も書けないほど無学だったので失敗。しょうがないので剣の鍛錬と吉原通い、そしてまた喧嘩に明け暮れる日々を過ごします。剣の腕前はめきめき上達し、江戸有数の剣客として名を馳せたほどです。

その後、所帯を持ちましたが小吉は落ち着くどころか借金を重ね、ふたたび江戸を出奔。親族の懇願により2ヶ月ばかりで家に戻るのですが、堪忍袋の緒が切れた実父により、小吉は座敷牢にぶち込まれ、そのまま3年も閉じ込められました

牢に閉じ込められている間に長男・麟太郎が生まれたこともあり、座敷牢から解放された小吉は「俺はまだ本気出してないだけ」とばかりに、就活をしますが、また失敗。

結局、旗本でありながら刀剣ブローカーや露天商の親分として生計をたてて37歳の若さでさらっと隠居。生涯無役。旗本として役職につくことはありませんでした。その後、小吉は自身の半生を振り返り、子孫に向かって「オレみたいに絶対になるなよ!」という思いを込めて『夢酔独言(むすいどくげん)』という自伝を執筆しました。

49歳で波乱の人生を終えた小吉。その3年後、黒船が来航すると時代は幕末に突入します。

最期に。
牢に入れられている間に誕生した長男・麟太郎。自由人過ぎる父の背中をみて育った彼は、激動の幕末において、父が叶わなかった幕府の要職につきます。





勝海舟の写真

徳川幕府第一級の要人・勝海舟です。
江戸城を無血開城するという、あまりに型破りなプランをぶちあげ、西郷隆盛と実質的代表として交渉。江戸の町を戦火から救いました。

無頼の父から海舟に受け継がれた型にはまらない思考。それこそが最小限の混乱で幕末を終焉させ、明治という新時代の扉を開いた。そういえるのかもしれません。

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