• 更新日:2017年8月18日
  • 公開日:2016年2月13日




絢爛豪華な文化が花開いた300年前の元禄時代、京に一風変わったという男がいました。彼がとにかく愛したもの……それは縞々。

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あらゆるものを縞々にしたい異常なる縞模様愛

縞の勘十郎


縞模様は江戸時代中期以降、男女問わず人気(『橋上の行交』勝川春潮 画)
縞模様は江戸時代中期以降、男女問わず人気。縞模様といってもバリエーション豊かで、勘十郎ならずとも人々は縞模様ファッションを楽しんでいたようです。(『橋上の行交』勝川春潮)

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京で書画骨董の目利きをしていた桜木勘十郎は、とにかく縞模様が大好き。着物や帯、足袋はもちろん草履にいたるまで縞模様の縞々ファッション。扇や財布といった小物もこだわりの縞模様

それだけにとどまりません。食事に使う器が縞模様なら、そこに盛り付ける食材も大根やごぼうといったできるだけ“筋”のあるものを選び、縞模様に盛り付けさせたといいますから異常です。

江戸時代中期につくられた縞模様の食器
江戸時代中期につくられた縞模様の食器。勘十郎が愛用していた食器もこんな感じだったのでしょうか
縞々がないと機嫌が悪くなったという勘十郎の縞模様愛は、ますます加速。ついに家のつくりも縞々になるよう変えてしまいました。格子を縞模様になるよう特注したり、庭の果てまで縞模様に徹したとか。

勘十郎の縞模様好きは有名で、ついたあだ名が「縞の勘十郎」。あだ名にも縞が入って、本人もさぞ満足だったことでしょう。

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ある日、7歳の少年が神隠しにあいました。しばらくして家に帰ってきた少年は超能力を発揮するようになっており、著名な学者も巻き込んだ大騒動に発展します。

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天狗に弟子入りした超能力少年

天狗小僧 寅吉


江戸時代後期、年も月も日も「寅」に生まれたことから「寅吉」と名づけられた少年。寅吉は7歳のときから、たびたび姿を消してはしばらくして家に戻ってくるようになります。

あまりに頻繁なので、「いったいどこに行っていたんだ?」と周りが問い詰めると、幼い寅吉は「上野池之端にある五条天神で出会った老人に連れられて常陸国(現在の茨城県)の南丈山に行っていた」といったり、「唐の国に行っていた」と真顔でこたえます。また、何年かすると「山中で4年間にわたり、老人から占術、医術、武術などあらゆる分野の修行をほどこされた」ともいいます。

世間では「寅吉は天狗にさらわれた」と噂になり、いつしか「天狗小僧 寅吉」「仙童 寅吉」などとあだ名されるようになりました。実際、寅吉は失せ物をすぐさま探し当てるなど超能力を発揮し人々を驚かせたそうです。

15歳になった寅吉は、有志より開催されていた超能力研究会によばれるようになります。その会のメンバーで、もっとも「天狗小僧 寅吉」に熱中したのが、



国学者・平田篤胤の肖像画
教科書にも登場する、国学者・平田篤胤(あつたね)。

篤胤の寅吉への情熱は並々ならぬものがあり、ついには寅吉を呼び寄せ(一説には養子にして9年間世話したとも)、さらわれた当時の様子や仙界の様子、修行内容などを細かく聞きだすと、『仙界異聞 仙童寅吉物語』という本にまとめました。

“天狗に仙術を学んだ超能力少年”として一躍時の人となった寅吉ですが、20代も後半になると超能力は消え「普通の人」になってしまったとか。まさに「神童も大人になればただの人」の典型例のような人物でした。

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