ハードな毎日は幸せな未来をゲットするため
ところで、なぜ女の子は寺子屋以外にも三味線や琴などのお稽古をしていたんでしょうか。その目的は明快です。
ひとえに、
玉の輿に乗るため。
江戸時代、庶民の女の子にとって「良縁」をゲットするためには、教養や礼儀作法を身につけることがひとつの大きな条件でした。そのため、寺子屋を退塾したあと、裕福な商家や武家屋敷に奉公へ上がることもありました。
封建社会だった江戸時代。江戸の町人たちはあまり武士を特別視することはなかったそうですが、それでも武士は特別なポジション。「武家屋敷へ奉公に上がってました」というと、結婚する時に「ハク」というものがつく。
「武家屋敷にご奉公に行ってらしたんですか。ほぅ、それはさぞかし立派な娘さんでしょうな」となるわけです。
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現代人がみれば「なにをばかばかしい」と一笑に付すかもしれませんが、幼きころからの地道な努力が、ある“当時の女の子、憧れナンバーワンの就職先”につながることもあるから馬鹿にならない。
その就職先とは、
江戸城大奥。
武家屋敷への奉公のうち、トップクラスが江戸城大奥へ奉公に上がることでした。
大奥女中は旗本や御家人といった幕府直属の武士の娘たちから選ばれたので、庶民の娘は絶対に大奥女中になれないかといったらそんなことはない。なんにでも裏道というのはある。
たとえば、
武家を仮親として「武家の娘」という体裁で採用試験を受ける。
またたとえば、
大奥内のツテを頼る。
あるいは
金にものをいわせる
……などなど。
大奥内では熾烈な出世競争があり、それには家柄が大きくものをいったので、庶民の娘が将軍の“お手つき”になるという幸運はほとんどありませんでしたが(大奥の権力者による推薦とかあれば別)、それでも江戸城大奥で奉公していた事実は良縁をゲットするための大きな武器になりました。いわば、履歴書の職歴欄の輝きが違ってくる。
ちなみに、大奥で働く女性たちというと「結婚もできず一生を大奥で過ごさねばならない」というイメージがありますが、それは上級クラスの女中たちに限ったことで、中・下級クラスの大奥女中たちは途中退職も可能。
大奥内で出世が見込めないと判断すると、「じつは、親が病気で……」などと理由をつくって宿下りし、そのまま退職、そして結婚することもママあったそうです。
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