忍者が鈴虫の養殖!? 意外に貧乏だった武士たちの驚きの内職とは?

  • 更新日:2017年8月18日
  • 公開日:2016年12月16日

封建社会だった江戸時代。支配階級にあった武士は労働とは無縁…だったわけでもなく。生きるために働かねばならなかった下級武士たちの驚きの内職事情をご紹介。

傘張りに精を出す男性(明治時代 撮影)
傘張りに精を出す男性(ただし職人)。明治時代に撮影されたもの。画像引用元:長崎大学附属図書館

年収25万円以下!? 超低賃金だった下級武士たち


江戸時代の武士たちは、現代の公務員に似たようなポジション。もちろん給料をもらえたわけですが、武士のランクによって給料の支払いスタイルが異なりました。

「知行取(ちぎょうどり)と呼ばれた上級武士たちは、幕府から与えられた領地で取れた年貢米の35〜40%が年収として懐に入りました。

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一方、中流・下流の武士のほとんどは、給料に何をもらっていたかと言いますとーー




武士は給料としてお米をもらっていた

お米

江戸時代はお米が経済の基本だったので、今のように現金で給料が支払われることはまれで、お米でもらうのがほとんど。で、自分たちで食べる分を取っておいて、残りを現金に換えて生活費にしていました。

武士の給料は基本的に固定給のうえ、親から子に代々引き継がれました。そのため、時代が下がるとともに物価が上がると生活はカツカツに……。

しかも、泰平の世とはいえ、武士の本分は「戦時に戦うこと」なので、万が一の戦に備えて常に何人かの家来を雇わなければいけませんでした。たとえば200石の武士なら家来は4人、1,000石の武士なら家来は21人という具合に、給料が増えればそれだけ家来の数も増えました。

高給取りの武士といえど、家族のほか、家来や使用人を養わねばならず、さらに礼儀を重んじる武士のこと、交際費や儀礼費をケチることなんてなりません。屋敷だって見苦しくないようにキープせねばなりません。結果、給料だけでは足りず札差(ふださし)など金融業者に多額の借金をする武士もたくさんいました

威風堂々とした壮麗な大名行列(『千代田之御表』「正月元日諸侯登城桔梗下馬」より 橋本周延 画)
威風堂々とした壮麗な大名行列。威厳に満ちた武士たちだが、その懐事情は意外にもお寒いものだったようです(『千代田之御表』「正月元日諸侯登城桔梗下馬」より 橋本周延 画)
そもそもめちゃくちゃ低収入の武士たちもいました。

「さんぴん武士」と蔑まれた下級武士たちがそれで、年収は「3両1人扶持」。1両を約8万円と推定すると、

その年収、




24万円

+お米(1日5合相当)。



月収に直すと、1ヶ月2万円+お米。



現代のワーキングプアも青ざめる低収入っぷりです。


うわっ...私の年収、低すぎ...?
まさに「うわっ…私の年収、低すぎ…?」
でも、「さんぴん武士」たちの多くは旗本や御家人らに仕える住み込みの武士だったそうで、生活費はあまりかからなかったとか。それにしてもこの年収では贅沢なんて夢のまた夢です。

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