• 更新日:2022年4月3日
  • 公開日:2016年12月13日


正月用品はここでゲット! 人、人、人であふれる「歳の市」


正月用品を売る年末商戦は今に始まったことではありません。生活用品を一新し、新たな気持ちで新しい年を迎えたいのは今も昔も同じでした。

正月用品などを売る「歳の市」の始まりは、江戸時代前期の万治年間(1658〜61年)頃の浅草といわれています。

現在、12月15日・16日に開かれ40万人もの人が集まるという「世田谷のボロ市」も江戸時代の「歳の市」が今に続いているものです。現在は日用品のほか食料、骨董品、古本などバラエティ豊かな品々が売られている世田谷ボロ市ですが、江戸時代には農家に必要な鎌や鍬(すき)などといった農具のほか、着物などが売られていました。

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12月も半ばを過ぎると江戸の各地で歳の市が開かれましたが、なかでも特ににぎわったのが12月17日、18日に開かれた浅草寺の歳の市。”芋洗い”状態のごった返しぶりはご覧の通り。

浅草寺の歳の市(『六十余州名所図会』「江戸 浅草市」歌川広重 画)
『六十余州名所図会』「江戸 浅草市」歌川広重 画
いやあ、にぎわってます。

どんなものが売られていたかといいますと、注連縄、しめ飾り、羽子板、餅、海老、昆布、鯛、橙(だいだい)といった正月に欠かせない正月グッズのほか、まな板、桶、笊(ざる)などの台所用品や着物、鉢植えの植物なんかもありました。

縁起を担ぐ江戸っ子らしく店名も「大黒屋」とか「宝来屋」などオメデタイのが多かったよう。

女の子の正月遊びの定番、羽根つきに使う羽子板を売る店も年末の風物詩。

現在も毎年12月の17・18・19日の3日間、浅草寺境内で開かれ大勢の人が押し寄せる羽子板市も江戸時代から続いています。羽子板市も、もともとは歳の市だったのですが、羽子板を目当てにやってくるお客さんがあんまり多いので、羽子板だけを売る市として独立したんだとか。

幕末の羽子板屋(『羽子板見世の賑ひ』三代歌川国貞 画)
『羽子板見世の賑ひ』三代歌川国貞 画
これは幕末に描かれた羽子板屋さんの店先。人気役者の舞台姿をデザインしたゴージャスな羽子板がずらりと並んでいます。羽子板は羽根つきに実用されたほか、豪華なものは正月飾りとして座敷に飾られたりもしました。若い娘さんたちは、ごひいきの役者の羽子板を買って部屋に飾って眺めたことでしょう。また、魔除け・厄除けの意味を持つとされた羽子板は縁起物として重宝され、正月の贈答にも使われたほか、女の子の初正月に羽子板を贈るという風習もありました。

さて、12月中旬から各地で開かれた歳の市も大晦日ともなると、今でいう“売り尽くしセール”が行われ正月用品などが捨て値で売られました。なので、お金のない庶民は大晦日まで粘ってお買い得品をゲットしたのだそう。“売り尽くしセール”を待ち望む庶民のキモチは200年以上経っても変わらないのです。

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