30代からのキャリアスタート、そして出世街道まっしぐら


町人のなかでブラブラ生活を数年送っていた景元ですが、遠山家の当主が死亡してしまったため、家督を継ぐべく家に戻ります。この時、すでに30歳過ぎ。そして景元は、ようやく幕臣として働き始めるわけですが、さすが秀才の子は秀才、モーレツな勢いで出世街道をばく進していきます。

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かんたんに経歴をまとめると――

  • 1825年(文政8年) 小納戸(こなんど)役に就任。のち12代将軍となる徳川家慶(いえよし)のお世話係になる。景元、32歳
  • 1834年(天保5年) 西丸小納戸頭取に昇格。景元、41歳
  • 1835年(天保6年) 小普請奉行(江戸城や徳川家の菩提寺などの建築・修繕担当)に就任。景元、42歳
  • 1837年(天保8年) 作事奉行(幕府による造営事業の管理)に就任。景元、44歳
  • 1838年(天保9年) 勘定奉行(幕府の財政や天領支配に関する最高責任者)に就任。景元、45歳
  • 1840年(天保11年) 北町奉行に就任。景元、47歳

ほぼ2年おきの出世

“能吏”といわれた実父・景晋も似たような出世街道を歩んでいるのですが、父・景晋が勘定奉行のポストをゲットしたのが68歳の時のこと。

それより20歳以上も若くして幕府の要職に就いた景元は只者じゃありません。

遠山景元が所有していたといわれる甲冑
遠山景元が所有していたといわれる甲冑。遠山家の家紋「丸に六本格子紋」が金具にあしらわれています

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“桜吹雪の刺青や名裁きは作り話?それでも遠山の金さんのモデルがヒーローだった理由” への 1 件のフィードバック

  1. rekishi_g says: 2016年11月18日

    遠山の金さんのモデル・遠山景元のおかげで、今でも人気の"あの芸術"が消滅の危機から救われました。

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