これは予想外。ちょっと斜め上の新しすぎる地獄
<4作目>
『別世界巻(べっせかいかん)』
耳鳥斎(にちょうさい)作/江戸時代中期
こちらは江戸時代中期につくられたと思われる珍絵巻。描かれているのは21の地獄なのですが、地獄絵図というとイメージされるオドロオドロしさは皆無。というか、なんの罪で地獄に落とされたのかという点からして理解不能。「悪行を断つため地獄の恐ろしさを描いたのだ」という作者の思いとは裏腹に、ほのぼのタッチと楽しそうに職務(?)を行う鬼たちのユニークさが相まってぜんぜん地獄っぽくありません。
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たとえば上の絵。これはなんの地獄かといいますと「たばこ好きの地獄」。ヘビースモーカーは地獄行きなのか・・・・・・現代より世知辛い。
よーく見ると赤鬼がうまそうに吸っているキセルはなんと人間。生前、ヘビースモーカーだった彼は、死後、キセルとして口から煙を吐いております。これはこれで本望かもしれない。
さらに赤鬼の傍らに転がっている小物にも注目。煙草入れやキセルも人間なのだ。江戸時代のタバコ取り締まりは極めて厳しいのですが、ヘビースモーカーの末路、恐ろしや。でも、煙草入れの彼もまんざらでもない表情しています。
絶対笑わせる太鼓持ちVS絶対笑わない無機物
これは「太鼓持ちの地獄」。
太鼓持ちというのは宴席での盛り上げ役のこと。生前、愉快な芸で酒席を盛り上げた太鼓持ちたち。
地獄に落ちた今は猿回しのサルのごとく鬼に操られるわけだが、彼らが笑わせようというお客たるや、無造作にそこいらに放り投げられている羽織や刀といった無機物。
絶対に笑わないものを相手の無限のご機嫌取り、これはたしかに地獄かも。
大根役者の悲しい末路
こちらは「歌舞伎役者の地獄」。
大根役者、つまり、ちっとも“当たらない”ヘタクソな役者がリアル大根と炊き合わせにされています。これは悲惨!
順番待ちの大根役者も「あぁ、目もあてられない」という風情。
ただ、大鍋のなかでは、なぜか笑っている人も。
あと、煮込んでいる赤鬼も「最高のタイミングを逃すまいぞ」といった頑固料理人のようであり、その度を越した真剣な表情が妙に可笑しい。
のばして丸めてできあがり
今度は「飴屋の地獄」。
なぜ、飴屋だっただけで地獄に落ちねばならないのか?
とにかく、「生前、飴をのばして丸めてつくっていたなコノヤロウ」ということで、地獄に落ちた今となっては鬼たちにのばされ丸められ、あわれ“人間飴”に。
このあと美味しく食べられちゃうのだろうか…。
シュールすぎる
同じく江戸時代の人気甘味職人の地獄。これは「ところてん屋の地獄」。
寒天もね、毎日毎日、突き出されてイヤだったのかな?
青鬼に突かれる元ところてん屋のお尻のプリプリ具合が気になるところですが、なにより、ところてん突きの出口から見える顔。なんとも言えない表情と合わさってシュールすぎる。
そして、手桶からチラッと覗く順番待ちの人の顔も、かわいそカワイイ。
様式美
お次は「立花師の地獄」。立花師つまりはお花の先生も地獄堕ち。
お花は生き物、と考えれば、まぁ、わからなくもないけど・・・・・・。
立花の基本様式通りに鬼先生の手によって活けられています。芸術家だっただけあって、死してなお様式美を体現しようとする姿勢には感動すら覚えます。
特に左下、あんた、すごいよ。
あ、頭がぁ!!ゴリゴリゴリ
最後は「そば切好きの地獄」。
そば好きのなにがいけなかったんでしょうか。
ある者はそばのように綿棒でのされペラペラに、ある者は薬味のネギとして首をちょん切られる寸前、ある者はワサビ役としておろし金ですりおろされ――顔の半分はすでになし。
まさに地獄。今までで一番の阿鼻叫喚の地獄絵図ですが、やっぱりそんなに怖くないのはタッチのほのぼの感ゆえか。
このゆるカワ妖怪画の作者、耳鳥斎(にちょうさい)についてちょっとご紹介。
江戸時代後期に活躍した大坂の絵師で、知る人ぞ知る“ゆるカワ絵”の巨匠。ユーモアあふれる軽妙なタッチは一度見たら忘れられないほど個性的で、『鳥獣戯画』の作者・鳥羽僧正に私淑していたというのも頷けます。
歌舞伎役者の絵も耳鳥斎の手にかかるとこんな感じ。
完全に四コマ漫画のキャラです、これ。手足の表現とか独創的すぎ。シンプルなのに豊かな表情は絶妙のひと言です。
さて、最後の絵巻とりました。とにかく妖怪たちが愛おしい。
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