余談ですが、馬琴も愛用していた入れ歯について。江戸時代の入れ歯は同時代の諸外国と比較しても非常によくできていたそうで、実用性もバツグンだったとか。
発見された江戸時代の入れ歯のなかには歯石がついているものもあるそう。それほどよく使っていたということです。日本は入れ歯先進国だったんですね。
これは江戸時代のものと考えられている入れ歯なのですが、歯茎の部分はなんと木でできています。ちなみに歯は蝋石です。
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こうした入れ歯をつくっていたのは歯医者ではなく、「口中入れ歯師」という入れ歯専門の職人。歯について医学的知識はなく、入れ歯づくりの技術は弟子が親方について習得した、というのがユニーク。
ただし、隻眼の剣豪・柳生十兵衛三厳の弟で将軍の剣術指南役を務めた柳生宗冬(むねふゆ)の入れ歯をつくった小野玄入(げんにゅう)という人は、入れ歯師であり歯の治療をする口中医でもあり抜歯も行い、はてには歯磨き粉も売っているという“歯のデパート”状態。そんな歯のスペシャリストもいたのです。
さて、話を歯に悩まされた有名人に戻して。
徳川幕府の歴代将軍のなかにも虫歯に苦しんだ人物がいました。それが幕末の動乱のなか若くして他界した14代将軍・徳川家茂(いえもち)です。
家茂は大の甘党だったことがたたり、虫歯だらけ。遺骨調査の結果、残っていた31本の歯のうちなんと30本が虫歯だったとか。ほぼぜんぶ!
家茂は20歳という若さで世を去ったのですが、虫歯が家茂の死因に少し影響してるのでは?ともいわれます。
さて、歯に悩まされた有名人がたくさんいた一方、80歳を過ぎてなお抜けた歯は1本もない、と豪語したのが、江戸時代の大ベストセラー健康書『養生訓(ようじょうくん)』の著者で学者の貝原益軒(かいばらえきけん)です。
益軒によりますと歯を健康に保つ秘訣は「毎朝、塩で歯と歯ぐきを磨き、お湯で2~30回 口のなかをしっかりすすぐ」ことなんだそう。これは現代のデンタルケアに通じるものがありますね。しかも実際に老いても歯が健康、現役バリバリの作者が唱える秘訣ですから説得力が違います。
江戸時代の人も虫歯に悩んでいたのかと思うと親近感を抱きますが、麻酔なしで抜歯していたというのには同情を禁じえません。