江戸時代にも可動式金属プラモデルがあった。戦乱のなくなった江戸時代、己が極めた技術を注ぎ込んだ意外な職業とは?
10人目
平和な時代に傑作を生んだ由緒ある甲冑師の家系
甲冑師・明珍派の人々
明珍(みょうちん)というのはちょっと変わった苗字ですが、これは鎌倉時代(平安時代末期とも)から続いた由緒ある甲冑師の家系。江戸時代になると明珍派の甲冑師たちは全国各地で活躍しました。
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たとえば、明珍吉久は江戸時代前期の人物で、越前国(現・福井県)明珍家の初代です。ちなみに、本姓は井手。残念ながらその生涯についてはよくわかっていませんが、代々、越前松平家のお抱え職人として活躍しました。
明珍派の甲冑師たちは、甲冑制作のほか、刀の鍔(つば)や火箸などの鉄製茶道具を手がけたほか、古い甲冑の鑑定なども行っていたようです。
戦がなくなり甲冑の仕事が減った平和な江戸時代。明珍派の甲冑師たちは、時代にあわせまったく新しい視点で己の高い技術を活かそうとします。
それが自在置物(じざいおきもの)。
これは鉄や銀、銅といった金属で、鳥や魚、昆虫などの動物を造形したものなんですが、注目すべきは可動式であること。
関節や体節を研究し、各パーツを独立してつくることでまるで生きているかのように複雑かつなめらかな動きを可能にしたのです。明珍派の甲冑師が生み出した自在置物をご覧ください!
この龍を所蔵している東京国立博物館が動画で「龍を動かしてみた」を公開しています。ぐにゃぐにゃ動きます。
ちなみに江戸時代の名人・達人(前編)で紹介した、最後の剣客・榊原鍵吉が挑んだ伝説の「天覧兜割り」。用意された兜はまさに明珍派が用意したものでした。
最後の剣客VS由緒ある甲冑師。明治天皇の御前で行われた兜割りの結果については、前編をご覧ください。
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