• 更新日:2017年5月5日
  • 公開日:2016年6月26日



江戸時代に誕生し、今も人気を集める「落語」。まだ、落語家として生計を立てている者がいなかった時代、下町生まれの櫛職人がプロの落語家になることを志しました。

6人目
プロ落語家の第一号

落語家・三笑亭可楽(初代)
(さんしょうていからく)

三笑亭可楽(初代)の墓(東京都台東区今戸 潮江院)
東京都台東区今戸にある潮江院には可楽の墓があり、毎年4月に「可楽まつり」が開催されています。画像引用元:猫のあしあと
プロ落語家の第一号のひとりと言われる三笑亭可楽が生まれたのは、1777年のことで、場所は江戸の下町・馬喰町。

俗称は京屋又五郎。

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櫛(くし)職人として生計を立てていた可楽は、落語好きが高じて友人ら3人と下谷稲荷神社の境内で寄席を開きます。芸名は“山生亭花楽(さんしょうていからく)”。由来は「山椒はぴりりと辛い」によるとか。

21歳の可楽による初寄席ですが散々な失敗に終わったと伝えられています。一説に“ネタ切れ”が一因だったとも。

この失敗に可楽は、一度は櫛職人の道に戻りましたが、やはり落語家として生きていきたいという気持ちは抑えきれず、若くして職人道具の一切を封印すると落語の武者修行に出ます。

そして、約3カ月後、今度は江戸からちょっと離れた越ヶ谷(現・埼玉県越谷市)でリベンジ寄席を行い、見事、これを成功させました。

その後、“三笑亭可楽”と改名した可楽は、史上初のプロ落語家の第一号として活躍。お客に出してもらった3つの言葉をすべて登場させひとつの噺(はなし)にまとめる「三題噺」や、線香が1分(ぶ/約3ミリ)燃え尽きる短い時間のうちに即興で落し噺を考える「一分線香即席咄」などといったユニークな芸で客の心をガッチリつかみ、またたく間に人気落語家となりました。櫛職人だった青年は大きな夢を叶えたのです。

プロ落語家の先駆けとなった可楽のもとからは多くの落語家が巣立ち、さらにそこから現在の落語諸派の祖が誕生しました。

“三笑亭可楽”の名跡も現代に続き、今は九代目が活躍しています。

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