幕末、江戸っ子たちが熱狂し拍手喝采を送った軽業のスーパースターがいました。男はその妙技をもって挑んだのは、なんと海外進出。
4人目
曲芸スペクタクルに外国人もビックリ!
軽業師・早竹虎吉
(はやたけ とらきち)
幕末、一世を風靡した軽業師に早竹虎吉という男がいました。生年や幼少期については記録が少なく謎が多いのですが、どうやら京で生まれ軽業芸を磨いたようです。
大坂を拠点に軽業興行をスタートさせた虎吉は、その後江戸へ進出。たちまちのうちにスーパー軽業師として押しも押されぬ人気者となりました。
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美麗な衣装に身を包み、人間離れした高度な軽業を次々とやってのける虎吉に江戸っ子は熱狂、興行は大成功。わずか2カ月の間に30点以上もの浮世絵が刷られたというんですから、虎吉フィーバーがいかにスゴかったか。
江戸っ子を驚かせた虎吉の得意芸を紹介すると、たとえば「曲差し(きょくざし)」。長い竹ざおを肩で支え、その竹ざおに人や動物をのせる芸。凄まじいのは竹ざおの先にぶらさがった人も曲芸を披露しつつ、下で竹ざおを支える虎吉自身も三味線を弾いたりすること。また、足で長い竹ざおを支えるバージョンの「石橋(しゃっきょう)」という曲芸も虎吉の得意芸でした。とにかくバランス感覚がズバ抜けていたんでしょうね。
江戸で大成功を収めた虎吉は伊勢や徳島など全国興行も行い、その人気は全国レベルに。そんな虎吉が次に目を向けたのが、海外。
虎吉は一座をまるごと率いてアメリカに渡ります。その数、約30人。265年続いた江戸時代がまもなく明治という新しい時代に変わろうとする1867年のことでした。
サンフランシスコに上陸した一行は、同地をはじめニューヨーク、フィラデルフィアなどアメリカ各地で興行を行い、海外の人たちにも衝撃をあたえます。
しかし、渡米からおよそ半年後、早竹虎吉は突如体調を崩し、懐かしい日本の土をもう一度踏むことなくそのまま異国の地で帰らぬ人となりました。