• 更新日:2017年8月18日
  • 公開日:2016年6月14日




江戸時代、徳川家支配のシンボルとしてその威容を誇った江戸城に、恐れ多くも盗みに入った強盗コンビがいた。

事件簿その9
前代未聞、大胆不敵! 江戸城から盗みだしたのは4,000両

江戸城本丸の御金蔵を破った強盗コンビ


藤岡藤十郎と富蔵の江戸城強盗コンビ(『千代田城噂白浪』歌川国海 画)
河竹黙阿弥による歌舞伎『四千両小判梅葉(しせんりょうこばんのうめのは)』は、事件を題材にした演目で、登場人物も実名(「千代田城噂白浪」歌川国海 画)
それは幕末、1855年(安政2)の初春のことでした。歴史に残る2人の名は藤岡藤十郎、下野国(しもつけのくに/現・栃木県)の無宿人・富蔵。

彼ら2人が、日本のトップセキュリティを誇った江戸城の御金蔵にどうやって忍び込んだのかは現代になってもわかっていません。ペリー来航などもあり幕府も浮き足だっていた時期ですが、盗まれた幕府側もとにかく信じがたい出来事だったでしょう。

鮮やかに大金を盗んだこの大泥棒コンビ。幕府の大捜査網をあざわらうかのように逃げ続けます。しかし、ついに1857年に逮捕されると、藤十郎と富蔵は小塚原で磔(はりつけ)に処せられました。それは逃亡から2年後のことでした。

天下の江戸城から大金が盗まれるという歴史的な大事件は当然ながら一大センセーションとなり、歌舞伎の題材にもなったのです。

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江戸から明治に時代が変わって間もない時のこと。ひとりの美女が斬首刑となり、その首がさらされました。のちに小説や映画にもなった美貌の犯罪者はどのような罪を犯した罪とは…

事件簿その10
年下の愛人のため邪魔な夫を毒殺

“毒婦”と呼ばれた美人すぎる殺人犯、原田きぬ


原田きぬの事件を小説化した『夜嵐阿衣花廼仇夢』の表紙画(歌川芳虎 画)
きぬの事件を小説化した『夜嵐阿衣花廼仇夢(よあらしおきぬはなのあだゆめ)』の表紙画(歌川芳虎 画)
“毒婦・夜嵐おきぬ”として小説や映画の主人公となった実在の美女がいました。

その名は原田きぬ。

江戸時代後期の弘化年間(1844~47)頃に生まれたといわれますが詳細は不明。どうやらあまり恵まれた家庭ではなかったようで、若い頃に江戸へ出て芸妓となりました。

きぬは持ち前の美貌から売れっ子となり、やがて大久保佐渡守という大名に見初められ側室となると、世継ぎを産みました。

絵に描いたような玉の輿!しかし、幸せも長く続かず夫である佐渡守が若くして死去、未亡人となったきぬは半ば強制的に仏門に入ることに。

が、美しくまだ若いきぬを男性も放ってはおかず、日本橋に店を持つ呉服屋のモテ男と恋愛関係になったあと、小林金平という裕福な金貸しの愛人となりました。

欲しいものはなんでも与えられる生活を手に入れたきぬでしたが、心は満たされなかったのか、嵐璃鶴(あらしりかく)という年下イケメンの歌舞伎役者にのめり込むように……。

そして、愛しい璃鶴との結婚を望むようになったきぬは夫の殺害を決意、ついに、殺鼠剤(さっそざい)で夫の金平を毒殺してしまったのです。逮捕されたきぬに告げられたのは斬首。その時、哀れにもきぬは妊娠しており、刑は出産を待って執行されました

ちなみに不倫相手の歌舞伎役者はどうなったかといいますと、不義密通の罪で懲役3年に処せられたものの、その後、事件のネームバリューもあってか人気役者となったとか。なんだかやるせないですねぇ。

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