• 更新日:2017年8月18日
  • 公開日:2016年3月30日


登校も下校も時間に決まりはナシ!


お次は授業時間と時間割について。現代の小学校は学年にもよりますが8時半に1限目がスタート、途中休憩をはさみながら2限目、3限目……と続き給食を食べて15時半に下校という感じです。

一方、寺子屋はといいますと、先生によって差はありましたが、朝8時頃にスタート、午後2時頃に終了というのが一般的だったようで、時間割はありませんでした。家の手伝いやお稽古ごとなどにより午前だけで帰る、という子どもも多かったとか。

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ちなみに、当然といいますか給食は出ません。なので、お弁当を持ってくるかお昼ごはんを食べに一旦家に帰ったりしました。

現代の小学校は土日が休みですが、寺子屋は毎月1、15、25日が定休日で、ほかに五節句と年末年始もお休みでした。ほぼ毎日のように授業があるわけですが、必ず出席しなければならないわけではなく、用事がある時は随時お休みしていたようです。

完全個別指導!教えてくれるのは将来に直結した実用的な知識


お次は授業内容。現代のように国が指定した学習指導要領があるわけではないので、こちらも先生によって授業内容もマチマチでした。一般的には「読み」「書き」「そろばん」という初歩的学習からスタートし、子どもの成長や将来就くであろう職業に応じて必要な知識を指導しました

『稚六芸(おさなりくげい)』「書数(しょすう)」(歌川国貞 画)
読み・書き・そろばんは商家に奉公する丁稚に必要不可欠なスキルでした(『稚六芸(おさなりくげい)』「書数(しょすう)」歌川国貞 画)
ちなみに、現代の小学校は一斉指導が基本ですが、寺子屋の場合は子どもたちの年齢も出身も異なるので個別指導が基本でした。

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寺子屋によって差はありましたが、生徒数は平均30人ほどだったようです。また、多くの寺子屋は男女共学だったようですが、部屋を別にしたり、男児専門・女児専門の寺子屋なんていうのもあったそうです。

『寺子供幼遊(てらこどもおさなあそび)』(作者不明)
(『寺子供幼遊(てらこどもおさなあそび)』作者不明)
こちら、男女共学の寺子屋の授業風景。授業そっちのけでケンカしてます。ちなみにこの絵は寺子屋の風景に見立てて旧幕府軍(女児)と新政府軍(男児)の争いを描いた風刺画なんだそう。

女児専門の寺子屋の授業風景(『絵本栄家種(えほんさかえぐさ)』より/勝川春潮 画)
(『絵本栄家種(えほんさかえぐさ)』より/勝川春潮 画)
こちらは女児専門の寺子屋の授業風景。読み書きだけでなく、しつけや礼儀作法なんかも教えてくれたんだそう。

江戸時代、女の子の教育も熱心に行われていました。といっても、学問による高い教養は女子には不用という考えが主流で、女の子に必要とされたのは「良妻賢母になるための教養・知識」でした。将来、玉の輿に乗って良妻賢母になるためには、読み書き、礼儀作法、裁縫などなど学ぶことはたくさんあったわけです。当時の女の子の多忙な毎日が滑稽本『浮世風呂』(式亭三馬 著)に登場します。こんな感じ。

朝起きるとまず寺子屋に行き、その後、三味線の師匠につき朝稽古。家に帰ってやっと朝食を食べたら、今度は踊りのお稽古へ行ったあと、再び寺子屋へ。さらにお琴のお稽古にも行き、帰宅。息つく間もなく家で三味線と踊りのおさらい。ちょっとだけ自由時間があって、日が暮れるとお琴のおさらい……。

めちゃくちゃハードです。ちなみにこれ、10歳の女の子の生活です。まぁ、フィクションなので“盛っている”ところはあると思いますが、江戸時代も現代顔負けの教育熱心さだったようです。

話を寺子屋に戻しましょう。授業の基本はお手本を何度も練習するというものでしたが、年に2回大イベントがありました。日頃の学習成果を発表する会「席書(せきがき)」です。

寺子屋での発表会(席書)のようす(『幼童席書会(ようどうせきがきかい)』歌川国芳 画)
(『幼童席書会(ようどうせきがきかい)』歌川国芳 画)
こちらの絵はにぎやかな席書のようすを描いたものです。こんな感じでみんなの前で書いた書は鴨居などに貼り出されました。子どもの上達ぶりを見ようと親や近所の人たちも見に来たそう。現代の小学校でもダンスや歌の発表会がありますが、それに通じるものがありますね。

ほかに毎月テストのようなものがあったそうで、成績の優秀な子どもには先生からご褒美(筆など)がもらえたんだとか。

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カテゴリ:生活

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