• 更新日:2017年5月5日
  • 公開日:2016年3月14日


布団は一家の大事な財産、ふかふか敷き布団は超高級品!


前述しましたように、庶民が使っていた敷き布団はペラペラの“せんべい布団”でしたが、大名や裕福な商人などのセレブは木綿わたがたっぷり入ったふかふかの敷き布団でした。布団の生地も木綿ではなく絹の絹布団です。

布団の豪華さ、といえば忘れてならないのが吉原の遊郭です。花魁(おいらん)といった高級遊女たち敷き布団を3つも重ねて敷いていたのです。

『風流艶色真似ゑもん(ふうりゅう えんしょくまねえもん)』より(鈴木春信 画)
(『風流艶色真似ゑもん(ふうりゅう えんしょくまねえもん)』より 鈴木春信 画)
こちらの絵でも緋色の敷き布団が3つ重ねられています。

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この「三つ布団(みつぶとん)」は遊女のステータスを示すもので、トップクラスの遊女にだけ許され、位が下がると敷き布団の枚数も2枚、1枚と減っていきました。

高級遊女の使用する「三つ布団」は、江戸屈指の呉服店である越後屋などであつらえた特別品で、掛けふとんにあたる夜着を含めるとそのお値段は50~100両。

1両を現代の10万円とすると500~1,000万円もしたそうです。

つまり。三つ布団は今ならこんなものと同価格。

ベンツ
画像引用元:レスポンス
ベンツ。Sクラス(価格は車種による)。

ちなみに、高級遊女は自分で使う「三つ布団」を本来なら自腹で用意しなければなりませんでしたが、自腹を切るには値段がすごすぎるのでお金持ちの馴染み客におねだりして買ってもらったそうです。

値段も値段ですので、用意してもらった時には遊郭の店先に積んで飾り、大々的にお披露目しました。これを「積夜具(つみやぐ)」といいました。

遊郭の布団事情は別格ですが、それでも布団が高級品だったのは庶民も同じ。“せんべい布団”といえど一家にとっては一番の財産で、火事の多かった江戸では万一の時にすぐに運び出せるように、畳んだふとんはふろしきに包んだそう。

また、布団は泥棒にもしばしば狙われたんだとか。

江戸の長屋の室内
画像引用元:YOMIURI ONLINE
これは江戸の長屋の室内です(深川江戸資料館の再現)。ワンルームに夫婦と子どもの3人家族が住んでいたという設定で再現されたもの。

布団がどこにあるかといいますと、写真右奥にご注目。衝立(ついたて)がありますよね、じつはここに隠してあります。覗いて見るとこんな感じ。

衝立で隠していた江戸時代の布団
画像引用元:無所属自然体
使わない時はこのように風呂敷に包んでありました。

ちなみに、江戸時代にふとん屋はなく、各家庭でわたを入れたりして作っていたそうです。布団専門店が登場するのは明治も20年(1887年)経ってからのことで、今も布団店として有名な「西川」が初めて布団を商品化したといいます。

同じ頃、京都でも岩田蒲団店が専門店として誕生しています。しかし、まだまだ布団は高級品でごく一部の人のものであり、農村などでは「むしろ」で寝ていたとか。

都市部だけでなく農村部も含め広く一般の人々にまで木綿わた入りの掛けふとんと敷き布団が使われるようになったのは、なんと昭和、戦後しばらく経ってからだといいます。今では主流の羽毛の掛けふとんが普及し始めたのは1970年頃からなんだとか。布団が手軽に買えるようになったのは、ほんとについ最近になってからなんですね。

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