• 更新日:2022年4月9日
  • 公開日:2016年2月22日


花魁の下で“遊女のあり方”を学ぶ下積み時代


ちなみに『鬼滅の刃 遊郭編』でも出てきた花魁(読み おいらん)と遊女の違いですが、花魁は遊女の階級のトップクラス方々を指します。ですので、鬼滅の刃の登場人物である鯉夏花魁、須磨花魁、蕨姫花魁は文字通り店の看板といえます。

幕府の取締りなどで吉原へ連れてこられた私娼は非公認とはいえすでに遊女ですから、吉原に来たらすぐにお客をとるようになるわけですが、いきなり『花魁』になれるわけではありません。そもそも、女衒が仕入れてきた幼女たちはすぐに客をとらされることはなく、まず「禿」としてスタートしました。読み方は「はげ」ではありません、「かむろ」です。いわば遊女階級の下からスタートです。

『扇屋内 花人 さくら もみち』(喜多川歌麿 画)
(『扇屋内 花人 さくら もみち』喜多川歌麿 画)
画面右の貫禄ある美女が花魁で、2人の少女が禿です。左の女の子はまだかなり幼く見えますね。

ちなみに、名前は「さくら」と「もみじ」。これは本名ではなく妓楼から与えられた名前で、禿の名前はこのような平仮名3文字が多かったとか。

禿はだいたい15歳くらいまでの少女で、先輩である花魁の身の回りのお世話や雑用をしながら、吉原や妓楼のしきたりを学び、“未来の遊女”としてしつけられました。また、遊女の必須教養として読み書きなども教わりました。

『浴後』(喜多川歌麿 画)
(『浴後』喜多川歌麿 画)
風呂上りの花魁にお茶を差し出したり、団扇であおぐ禿たち。かいがいしいです


『鬼滅の刃 遊郭編』でも鯉夏花魁を慕う禿たちが登場しました。また、潜入捜査を行った炭子(竈門炭治郎)、善子(我妻善逸)、猪子(嘴平伊之助)らもいわば、禿の駆け出しという位置付けでした。遊女階級ピラミッドの一番下というわけですね。

ちなみに、吉原にはこんな原則があります。

「年季は最長10年、27歳(数えで28歳)で年季明け」


つまり、最長10年間妓楼で働き、27歳になったら晴れて自由の身になれる、というわけです。まぁ、これはあくまで“原則”であり、スムーズに年季明けを迎えるのはなかなか困難でした。そのあたりはのちほど。

さらに、お客をとらない禿時代は年季のうちに入らないので、たとえば7歳で妓楼に来た女の子が17歳でお客をとり始めたとすると、実際には20年という長い時を吉原という狭い世界で過ごさなければなりませんでした。

禿も16歳くらいになると次の階級(ステップ)に移ります。見習い遊女の「新造(しんぞう)」です。

『青楼十二時』「続 申ノ刻」(喜多川歌麿 画)
(『青楼十二時』「続 申ノ刻」喜多川歌麿 画)
右が花魁、左が新造です。新造になったばかりの女性なのか、どことなく幼く体つきも華奢な感じに描かれています。

新造になったらすぐにお客をとるわけではなく、花魁について身の回りの世話をしながらお客のあしらい方など“遊女のテクニック”を学びました。お客をとる前の新造は特に「振袖新造」といいます。

新造はお客をとる前、ある儀式を行わねばなりませんでした。それは、初体験、つまり処女の喪失です。

これは「水揚げ(みずあげ)」と呼ばれるもので、禿から妓楼にいる少女や、未婚の女性など処女に対して行われました。

相手をするのは、妓楼が依頼したその道に長けた40歳ぐらいの金持ちの男性だったそう。乱暴だったり下手だったりして、性行為に対する恐怖心や嫌悪感を抱かせないよう人選には気を遣ったようです。

『古能手佳史話(このてがしわ)』(渓斎英泉 画)
(『古能手佳史話(このてがしわ)』渓斎英泉 画)
遊女にとって性行為は毎日の業務。避けることはできませんでした

こうして一人前の遊女とされた女性たちは、その後、毎日、お客の相手をすることになります。

ひとくちに遊女といっても、「花魁」を階級の頂点にした厳然たるヒエラルキーがあり、待遇も雲泥の差がありました

たとえば、部屋をとっても、花魁は豪華な個室を与えられましたが、禿や新造といった見習い・下級遊女は大部屋に雑魚寝でした。

それだけでなく、新造はお客を接客するのも「廻し部屋(まわしべや)」と呼ばれる共用の大部屋で、屏風1枚で仕切られただけの寝床で性行為を行いました。

『鶸茶曽我』3巻より/芝全交 作
(『鶸茶曽我』3巻より/芝全交 作)
これは相部屋のようすです。左側の男女は痴話げんかの真っ最中でしょうか。なんだかたいへんなことになっています。

屏風1枚の仕切りなんてあってないようなもの、行為中の音や声なんかも当然、丸聞こえだったことでしょう。

食事に関しても、売れっ子遊女となってお客がたくさんつけば、豪華な出前を注文することもできましたが、妓楼で出される食事はかなり質素。

自由になるお金のない禿や新造のなかには空腹をしのぐため宴会の時のお客が残した料理をこっそりキープしておいて翌日食べたりした者もいたとか。

身売りの際、女衒が「白いおまんまがたらふく食べられるよ」という常套句はどうやら嘘っぱちだったようです。

『昔唄花街始(むかしうたくるわのはじまり)』(式亭三馬 著/歌川国貞 画)
(『昔唄花街始(むかしうたくるわのはじまり)』式亭三馬 著/歌川国貞 画)
宴会後、お客が残した出前の残り物や酒を新造らが飲み食いしています

とにかくこうした恵まれない待遇から脱したければ出世するしかありませんでした。そのため、遊女たちは芸を磨き、お客を悦ばせるためのテクニックを磨きました。そして、ただひたすらに年季が明けるのを待ち望んだのです。

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