江戸時代の照明事情を大変革させた蝋燭の誕生
話を灯りに戻します。灯油(ともしあぶら)を燃料にした行灯の明るさは豆電球ほどしかありませんでしたが、それに比べ圧倒的な明るさを誇ったのがこれ。
和蝋燭(わろうそく)。
最初に述べましたように、蝋燭は室町時代以降、国産されるようになりましたが、製造に手間ひまがかかるためとっても高価。
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たとえば、1本の重さが100匁(もんめ/約375g)もある「百目蝋燭(ひゃくめろうそく)」は、行灯の10倍ともいわれる明るさを放ちましたが、燃焼時間は3時間半くらいで1本で200文(約8000円)とめちゃくちゃ高い。
当然ながら蝋燭を照明として使用できるのは、将軍や大名、大寺院、高級料亭、吉原など遊郭、豪商の家といった特殊な場所に限られました。
これは江戸城で行われた「謡初(うたいぞめ)」という正月行事のようすです。
服を脱ぎ散らかしているように見えるのは、能楽の演者にご祝儀として諸大名が肩衣(かたぎぬ)を与えるというならわし。ちなみに、あとでお金を持っていって肩衣は返してもらったそうです。蝋燭が乱立しています。
さすが江戸城。これはかなり明るかったはず。
こちらは、男性が吉原の妓楼で遊ぶ様子。ちょっとわかりにくいですが、中央に蝋燭が立っています。蝋燭の明かりに照らされる美しい遊女たち。贅沢な遊びです。
時代が下り江戸時代中期以降になると、蝋燭の生産が多少増えたことや、蝋燭のリサイクルが進んだことにより、蝋燭は一般にも広く使われるようになっていきました。
この再生蝋燭、安い魚油などを混ぜてつくったので値段もお手頃で、庶民の蝋燭として重宝されました。
余談ですが、江戸時代に誕生した日本を代表する伝統芸能といえば、歌舞伎。
電気のなかった江戸時代、歌舞伎の照明は基本的に自然光を利用したものでした。芝居小屋に明かり採りの窓があり、スタッフが必要に応じて開閉しました。そのため、興行も早朝から日没までと決まっていました。
とはいえ、それほど明るくもなく、花道を歩く役者の顔がよく見えるようにと使われたのが「面明り(つらあかり)」というもの。長い柄の先に燭台がついていて、黒子がこれを持ち、蝋燭の灯りで役者の顔を照らしました。いわば蝋燭スポットライト。蝋燭はこんな使われ方もしていました。