• 更新日:2017年8月18日
  • 公開日:2016年2月13日




あまりの奇行ぶりとぶっとんだ言動、常人ばなれした高慢さながら博覧強記の知識人

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江戸随一の奇人は千社札の元祖!?

大ボラふき 天愚孔平


江戸時代の千社札(『江戸版画集』より)
江戸時代の千社札。カラフルでとってもおしゃれ(『江戸版画集』より)
「天愚孔平」というヘンテコな名は本名ではありません。彼の本当の名は、萩野信敏(のぶとし)、通称は喜内(きない)といい、鳩谷(きゅうこく)という号でも知られています。

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とにかくヘンテコな人物で、大言壮語の大ボラふきともいわれ、「天愚孔平」という名も「わしは孔子の子孫の妾を平家のなんとかという武士が妻として生まれた子の子孫である」という非常にうさんくさい出自を自称し、孔子の「孔」と平家の「平」をあわせ「孔平」と名乗っていました。

人々から「天狗」と呼ばれ自らも「天愚」と名乗った孔平ですが、もとはれっきとした出雲国松江藩の武士。生家は代々藩医を勤めたため孔平も医師でもあり、さらに儒学者として多くの著書を残し、書家としても高名でした。

ただ、中年になってからなぜか奇行が増えていきます。

まず格好が異常。晴れている時でも雨合羽を着こみ、ボロをまとい、腰に拾った草鞋(わらじ)を何足もぶら下げて、平然と出歩きます。また、本人曰く「長寿の秘訣」ということで、どんなに悪臭を放っても風呂に入りませんでした

年齢も傍目にはよくわからず、「何歳だ?」と聞いても「わし、百歳ね」とうそぶく始末。絵に描いたような奇人ぶりで江戸でその名を知らない者はいないといわれた天愚孔平ですが、江戸で起きたあるブームの火付け役としても有名でした。

それは今でも神社などでよく目にする「千社札」です。孔平は、神社仏閣を参拝するとその証しに「天愚孔平」と自らの名を大書した札を勝手にぺたりと貼って帰ったそうですが、この奇行がまさに「千社札」の走り。

江戸時代中期、庶民の間でいくつもの神社仏閣を参拝する「千社参り」がブームとなると「千社札」もブームとなりました。やがて千社札も浮世絵風のものなどデザイン性の高いものが登場するようになり、今に続いているのです。

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江戸時代の「名奉行」といえば大岡越前遠山の金さんが有名ですが、もうひとり知られざる名奉行がいました。人望とすぐれた手腕で名奉行と評判だった鎮衛には、ある変わった趣味がありました。それは巷に流れる不思議な話を集めることでした。

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30年にわたり珍談・奇談を集めた

現代の時代劇にも登場 根岸鎮衛


根岸鎮衛(ねぎしやすもり)は1737年(元文2)に生まれました。出自については諸説ありますが、お世辞にも立派な家の出ではありませんでした。しかし、鎮衛は努力を重ね出世街道を驀進し、江戸を守る幕府の要職・南町奉行にまで上りつめ、18年の長きにわたりこの職を務めます。

鎮衛は出世しても決して偉ぶらず、洒脱で下世話にも通じ、公平なお裁きをする“名奉行”として人気が高かったといいます。南町奉行の仕事は激務でしたが、鎮衛は暇をみつけてはあることをしていました。

それは、同僚や来訪者、古老らから聞いた珍談・奇談を書きとめること。たとえば「鼻血を止めるまじないのこと」。たとえば「河童(かっぱ)のこと」。たとえば「梅に助けられた男のこと」。こうした面白話を30年にわたり1000以上も集め、鎮衛は随筆にまとめました。

随筆の名は『耳嚢(みみぶくろ)』。

『耳嚢』(江戸の珍談・奇談1000話を集めた根岸鎮衛の随筆)
『耳嚢』は岩波文庫など文庫版で手軽に読めます。うれしい注釈入り

全10巻にもなる『耳嚢』に収録された話の内容は、人情話から英雄・豪傑のエピソード、怪談、幽霊譚までじつにバラエティ豊か。そうした話が非常に平易で親しみやすい文章でつづられています。

耳嚢は、オマージュとなる怪談集『新耳袋』が書籍・映像化されるなど、現代にも続いています。

怪談 新耳袋

異例の出世を遂げながら威張らず洒脱、くだけた人物ながら辣腕の名奉行、そして珍談・奇談を集めるのが趣味というマニアックさ――こうした多面性が注目され、鎮衛は時代小説や時代劇などでもしばしば登場します。

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